蜜の部屋
第2回 蜜さん講義(平成23年10月11日) 後半
蜜さん:
私、すっごい遊びたい子がいたんです。やっちゃん以外に。かわいい子だったんですよ、顔が。「あの子、顔がかわいい、お人形みたい」って。お人形みたいな人と、どうやったら遊べるんだろうって思ったんです。でもその子は特定の女の子とずっと遊んでて。そりゃそうですよ、仲良しがいるんですから。でもそれが私にはわかんないんですよ。なんであの子とばっかり遊ぶんだろ、なんであれやってるんだろ、あれはどういう意味なんだろうって。母さんに相談してました。「どうやったら遊んでもらえるようになるんだろう」って。
もっと題なのは、「遊ぼう」って言って「いいよ」って言ってくれても、そのあと何で遊んだら良いのかわかんないんですよ。「遊ぼう」って言っといて「いいよ」って言われたら、「わーっ」って逃げちゃうみたいな。
齊藤:
許可されたのは良いけど、次にどう展開していいかわかんなかったんだね?
蜜さん:走ったら追っかけてきてくれるかな?的な。
齊藤:
大人だったら「この子遊び方がわからないんだな」って、その子どもがやってほしそうなことをしてあげるよね。
蜜さん:
そう。でも同年齢の子どもはそうはいかない。だから「いいよ」って言われたらピシッて、石置いちゃうみたいな。どうしていいかわかんないから。
全体:(笑)
齊藤:
そこで「石ピシッ」て、すごいな。「石ピシッ」にリアクション返せる同年代の子どもはいないだろうな。
蜜さん:
そういうことをやってたんで、全然遊んでもらえなくて。すごい思い悩んでた。「遊ぼう」って一生懸命言ってるんだけど、遊んでもらえない。やっちゃんみたいに遊べない。どうしたら良いのかなって。そしたら、お母さんが「その子はその子で遊びたい遊びがあるからあなたと違うかもしれない。その子に聞いたら」と言われた。「そうか。自分から何かしなくても良いのかもしれない」って。「どうしてもその子と遊びたいなら、あなたの遊びたい遊び方じゃなくて、その子が遊びたい遊びを聞いて遊んでもらえるか頼んでみたら」って言われたの。具体的なアドバイスですよね。
それで、ちょっと理解できて「何で遊ぶ」って言ったら「おままごと」って言われて。でも、私のおままごと概念が基本的に間違っていたので、おままごとキットを八組並べて去っていくわけです。
蜜さん:
おままごとにチャレンジしましたね。お母さんに「おままごとってなあに」って聞いたら、「役割があってね、お父さん役とお母さん役なんかを、みんなやるんだよ」って。見事に失敗しましたね。そこまでの説明しか受けていなかったので、大変なことになりました。泥団子作って手渡されたら、「これは食べ物じゃない」と言ってビシッと断るわけです。他にも「会社に行く」って言って私、その場を離れて園に戻らないんです。だってお父さんは会社に行ったら帰ってこないでしょ、夜寝るまで。
齊藤:リアルままごとだ(笑)。疲れるな、それ。
蜜さん:
私の家は共働きだったので、ママ役のときはは「子どもを保育園に連れて行く」って言って子ども役の子を連れてって「じゃあね、会社行くわ」って言ってそのまま、園に戻らないんですよ。子ども役のときは「子どもは遊ぶのが仕事だから」って言って、保育園を脱出して近くの空き地でクルミ割りとかしてました。夕方になるまで。
齊藤:園から出てるんでしょ?それも長時間。
蜜さん:はい出てます。
齊藤:その時点で、保育必要ないじゃん。自立してるね(笑)。
蜜さん:
夕方になったなと思って園に戻ったら、みんな怒ってるんですよね。おままごとが終了してたり、別の人がやってたりとか。もう一生懸命、大人を模倣してごっこ遊びしてたんですけど、できませんでした。「リアルすぎたんだね」って大人になってお母さんに言われました。「その概念は間違ってたね」って。なんでそのとき教えてくれなかったんだって私は思いました。でも「あんたがそんな風に困ってるなんてわかんなかった」って言われました。
齊藤:お母さんをしても、わからないんだから相当難しかったんだ。
蜜さん:
ジョークを言ってはいけませんって話です。こういうジョークはダメですよ。すごい信じちゃいます。私が3歳くらいの頃に、お母さんが「あんたはデパートで買ってきたんだから、良い子にしてないと返品するよ」って言ったんです。私、小学校に入学するくらいまで、デパートにある授乳室、あそこに赤ちゃんマークついてますよね。あそこが赤ちゃん販売所だと思ってたんですよ。漢字読めないから。だから、本当に売買してるんだと思って、返品されないように必死でした。すっごいトラウマですよ、これ。
「デパートに子ども売り場はない。こんなに大きくなった子どもは返品できない」って訂正されるまで安心できなかった。デパートの中では、大きくなっちゃった子は、ひとりで授乳室に入ったらダメじゃないですか。大人に「そこ違うよ」とか言われるじゃないですか。入っていけないから、ブラックホールのままなんですよ。
齊藤:中でなにが行われているかわからないもんね。
蜜さん:
わかんない。確認もできない。本当に私はここで売り買いされたんじゃなかろうかっていう疑念が消えない。最後はお母さんが病院でこうやって私を抱きかかえる写真を見て「あっ、違うんだね」って納得できました。
齊藤:授乳室が人身売買所にみえるって怖いね。
蜜さん:
すごい危険なこと。だから子どもができたらジョークでも言わないでください。トラウマになります。
蜜さん:
はじめてのおつかいは3歳か4歳の頃でした。団地に来る移動販売のお店に牛乳を買いに行くことでした。普段お母さんと一緒に何回もやってることなんで安心して、慣れてるしおじさんも知ってるし、ビジョンがあったんです。自閉症の人ってすごいですよ、ビジョンがあることはもう100%できるって信じてますからね。失敗のビジョンがないんです。失敗のビジョンがないとどうなるか。お茶碗割れた時と一緒になっちゃうんですね。100円玉一枚握り締めながら、牛乳持って帰るイメージもばっちりできてるんです。いつもやってることだから。ところがさっき言ったとおりに、足元の狭い範囲しか照らされてない、視野の狭い私です。突っかかってこけたら、100円玉が手からポロンと飛んでってしまって。私、両手つけない子だったんで。そうだ私その話したっけ?
齊藤:両手つけないって、反射的に手が出ないってこと?
蜜さん:
はい。反射で手が出ない子なんです。突っかかったときに、普通、足が出たり手をつきますよね。私、それがないんです。だから、ヒュードンッていくんです。私、それで乳歯2本折ってるんです、前歯の。
齊藤:本当?それやるのって体を張った芸人さんくらいだよね。
蜜さん:乳歯が生えるのって何歳くらいですかね?
齊藤:乳歯?1歳前には…
蜜さん:乳歯から永久歯になるのは?
参加者:小学校くらい?
蜜さん:
それくらいの頃、お父さんが「お前なんか家から出て行け。反省しろ」と、ドア開けてドンッて押し倒したときに、私、そのままガンッて倒れて前歯バキッて折りました。
手にある100円玉と牛乳買うイメージで頭がいっぱいで、歩くことに意識が集中してなかったので、転んじゃって。そしたら今度は、100円玉が転がってパニックを起こして、ヒャーってなって。ヒャーってなったときは誰か大きい人に言えば、なんとかなると思っておじさんに助けを求めたんです。おじさんに「ブロックをよければそこに100円あるから!」って言った。説明能力はあったんですよね。だから「そこに100円あるからそれをとって牛乳頂戴!」って言ってるのに、そのおじさん不親切だったんです。「100円ないなら牛乳あげられないね、バイバイ」っていなくなっちゃったんです。ダーって泣いてもう死ぬかと思いました。
齊藤:そこにあると伝えたにもかかわらず、対応が不親切だったわけだ。
蜜さん:
映画の設定も全部知ってて、同じ映画を見ていたはずが、突然、衝撃のラストみたいな感じ。それが映画ならいいですよ、他人事ですから。でも自分のことだから、とんでもないことになって、死ぬかと思って。牛乳1個買えなかっただけで死ぬかと思ったんですね。いまだに排水溝の隙間から見える100円玉の記憶が残ってます。おじさんめ!
蜜さん:
これもトラウマの話ですね。お母さんがまたジョークを言ったんですね。お母さんのふりをして狼がやってくるという絵本のストーリーがあったんです。ある日「おおかみさんが来ても鍵開けちゃいけないよ」と言って、両親二人でお買い物に行っちゃったんですよ。あとで、お母さんが帰ってきました。玄関で「お母さんだよ」って言いました。おおかみがお母さんの声で「帰ってきたよ」っていう話を聞いていたから、てっきり私は「おおかみが来た」って思って。
齊藤:あらら、お母さん、自業自得のはめに。
蜜さん:
外を見ようとしたんです。でもまだ上の大きい穴から身長が足りないから見えなくて。チェーンロックして、バンッみたいな (笑)。
齊藤:閉めちゃったの?
蜜さん:
そう。ガチャって鍵閉めて。親は鍵もってるからドアを開けた。けれどチェーンロックでバンッてなるんですよ。以下、繰り返しみたいな(笑)。バンバンバンバンって。これは絶対おおかみだって思い込んでました。
齊藤:やればやるほどね。
蜜さん:
やればやるほど。すごいことになりましたね。冗談って言うのがわかるようになったのは、言語能力とか経験とかがだいぶ備わってから。そういうこともあるねっていう経験値を積んでからじゃないとダメでした。お母さんが「あの時期は本当に苦労したんだから。とんでもないこと言っちゃったよ」っていまだに言います。自閉症の子に絶対こういうこと言っちゃいけません。
齊藤:
スタンリー・キューブリックは奇才じゃないっていうのがわかってきたよ。だって世の中に、おおかみがいるってリアルに思ってるんだよね?おおかみが家に来ることもあるっていう想定で生活していることになる。それは、怖いなあ。やさしいお母さんとおおかみが、この世の中に同時に存在しうるんだもんなあ。不条理だなあ。
蜜さん:
そう。やさしいお母さんかおおかみかわからないのが、家に来るっていう。
齊藤:そりゃあ、ドア開けないよね。
蜜さん:
そう。「おかえし」っていう絵本聞いたことあります?お母さん同士が仲良くなって、お隣同士のおうちで。「これつまらないものですが」って物を持っていって、相手はお返しして。そしてそのお返しにお返しして。そうやっていくうちに、だんだん家中のものがすり替わっていって。で、最後に子どもを「お返しに」って言って…
齊藤:怖いー(笑)。
蜜さん:
子ども同士を交換するんですよ。で、子ども同士を交換したあとに「代わりになにがあるかしら。あとは全部もらったものばかりだし」って言って、じゃあ「私をお返しに」って言って、自分をお返しに行くっていう。そしたら向こうのお母さんが「じゃあ、私がお返しに」って言って、相手の家に行って、結局「引越ししたね」っていうハッピーエンドな話なんですけど、私にはすごいホラーでした。なんて怖い話なんだろうって。私はいつになったら取り替えられるの?みたいな。そんな感じでした。そんなことが普通にあると思ったんです。そういう世界で生きてるって、とんでもないこと。だから自閉症の人は想像力ないって言うけど、そうとばかりは言い切れなくて、イマジネーションはものすごくある部分もあるので、気をつけないと大変なことになります。
齊藤:
想像に制約がないよね。なんでももうフリーハンドだよね。“マトリックス”みたい。想像したらなんでもありなんだ。それだもの、コントロールの効く世界でじっと安全を守っていたいと思うよね。コントロールの効く範囲から一歩外に出たら何があるかわかんないもんね。
蜜さん:うん、わかんない。恐ろしいことが起こると思う。
齊藤:そっかぁ。
蜜さん:
知ってて、良かったことです。「うちではあなたが一番」って言われてました。3歳くらいの頃から、お母さんには「○○君のおうちのお母さんには○○君が一番かわいい。あなたはあなたのおうちでは一番だからほかのおうちで面白くないことがあっても気にしなくていいのよ。あなたはうちで一番なんだよ。だからよそではいやな思いしても気にしないでね」って言われていたの。裏を返せば「よそに行ったらいやなことがあるのよ」っていう意味だったんですけど、それには気がつかなくて、この文言どおりに受け取ってるから「そうか、おうちで一番なんだ。イェイ!」みたいな感じで。
この頃はまだ。他人と自分との比較みたいなことにまだ意識がいってない。だってやっちゃんと跳んで遊んでハッピーっていう頃だったわけで。人との共同注意っていうのができるかできないかくらいの頃の話なんで、人との比較なんてまだ全然できない。でも「うちではあなたが一番」って言われてて、「どんなにいやなことがあってもうちに帰ってきたらなんとかなるのよ」って3歳くらいの頃から言われてた。「よそで怖いことがあっても家に帰ってきたら好きにしてなさい」って言われてたのは、意味わかんないけど自信になりました。家に帰ってきて、お母さんに訴えればなんとかなるって思いました。だからよそにいってなんともならない事態になっても、お母さんに泣きつけば何とかなると思って。
2、3歳頃に母親との愛着が大事って言われてますけど、愛情を言葉でちゃんと言われてたのがすごくよかったのかなとすごく思います。「一番よ」って。「お父さんよりもあなたがかわいい」とか「あなたはあなたのことを考えなさい」って言われてました。でも「あなたはうちでは一番だけど、よそに行ったら一番じゃないから、よそではよその人のことも考えなさい」とも言われてました。
お母さんが理屈に合わないこと言ったりしたこともありました。その頃、うちのお母さん、プログラミングの仕事をしてたんですね。ADHDだから過集中になりやすいんです。私は「7時になったら、ドラえもんが始まるからその時間になったら教えてね」って言って、お母さんは「いいよ」って言って。私はその頃、時計が読めなかったからお母さんが教えてくれると信じ込んで「イエス、イエス、ドラえもん」って上機嫌だったんですけど、お母さんが過集中になって、ドラえもんの時間忘れてしまい「お母さん、ドラえもんは?」って聞いたときには「ごめん。ドラえもん、終わっちゃった」って言われて「ギャー」みたいな。私はその時「お母さんのうそつき。お母さんはいつもお父さんより私がかわいい。あんたが家では一番かわいいって言うじゃない」って、「よそであなたはほかの人の子と考えなさいって私に教えたけど、お母さんha私のこと考えてない。人のこと考えてない」って言って怒って。そういう理屈こねる子だった。3歳4歳くらいの頃、屁理屈こねるって言われてました。
齊藤:3,4歳のときにそれだけのことを、お母さんに言うの?すごいなあ。
蜜さん:
そのくせあれですよ。「おしっこは」って聞かれたら「トイレでするもの」って、その場でしちゃう(笑)。
齊藤:バランスが悪いというかなんというか(笑)。
蜜さん:
すごく厄介でしょ。言うこと言うくせに、やることできないっていうしょうもない子どもでした。
蜜さん:
うちのお母さんがちょっと変わったお母さんだったっていう話です。一般の親があまり教えないことを言ってました。特に保育園に入る頃に言われました。お母さんは「子ども嫌いだった」って言います、いまだに。「よその人にわがままをいう子どもがとくに嫌い。見てるだけでいや。いまだに見てて腹立つ」って言います。それで、私がそういう子にならないように「お友達の親に嫌われないようにしなさい」って言われました。「お友達のお母さんにはお世話になるのだから言うことを聞いてよくお手伝いをしなさい。その家の子と遊んだ後、その子が部屋を片付けなくてもあなたは片付けなきゃいけないし、おやつをもらったらきちんとありがとうと言わなきゃいけないよ」って言われてました。そのとおりに鵜呑みにするから、そのままインストールされて、素直に実行してたら、すっごい良い子だと思われてました。すっごいしっかりした、すっごい良い子だと思われてるのに、家ではすっごい手のかかる子だったから、お母さんが「意味わかんない」って言ってました。遊びに行った先で、すっごいほめられることはあっても、怒られた覚えが全然ないのはそういうことなんですね、きっとね。
齊藤:
家で片づけをしなかったのは、親に甘えていたからではなくて、そういうルールじゃなかったから?
蜜さん:
そうです。おうちでは「好きなことしてていいよ」って言われてたので。お片づけは、お外に行ったときのルールだったんですよ。お友達のおうちに行ったときのルールです。お友達のおうちに行ったときは、お友達の親がルールだって言われてたんですよ。それに従いなさいみたいな。
齊藤:国がかわれば、法律がかわるみたいに。
蜜さん:
そう。あらかじめ言われてたので、パニック起こさなかった。でも、たぶん「お友達の家に遊びに行っといで」なんて気軽に言われてたら、地雷チュドーンですよね、きっと。だって観ている映画に、違うストーリーが組み込まれてたみたいになっちゃうから、大変なことになってたと思う。でもお母さんはちゃんとインストールしてくれてたんで、すごく助かりました。「よそへ行ったらルール違うよ」っていうのは。
蜜さん:
歩くスピーカーだったんです、私。「お母さん、すごく恥ずかしかった」って言ってました。「☆☆ちゃん(蜜さん)がうちに来ると、☆☆ちゃんの家のことがよくわかる」って言われたそうです。夫婦喧嘩の内容やら会社の話やら、自分の知ってることはなんでもべらべら話し、プライバシーっていうものがない。自分のことについて話すのが恥ずかしいという感情がいまだにわかんないんです。どこまでのプライバシーが漏れていたら恥ずかしいっていう基準がよくわかんない。
鼻毛が出てたら恥ずかしいかなって思いますよね。鼻水出てたら、これは恥ずかしいってことだよなとか。だから髪の毛がふさふさしてたら、これはちょっと整えたほうがいいってことなんだよなって鏡を見れば気がつきますよ。でも鏡ないのに気がつく人いないじゃないですか。それと同じで自分が話してることを同時に聞いて「あっ」ってなることがないので、なかなか難しい。だから私はこれを見たら「あっ」って、「なんかちょっと恥ずかしいわ」ってきっと思うと思います(記録用のビデオを指し示して)。
齊藤:ビデオだと、客観的に自分のことを見ることができるから?
蜜さん:そう。私、なんか動いてる。私、動いてるって思うだろうな。
齊藤:蜜さんそろそろ1時間くらい経ったんですけど、きりのいいところで。
蜜さん:じゃあこの辺で終わりにしますか。
蜜さん:
あとは、読んでおいてもらえれば良いと思います。良いのか悪いのかを聞かれるというのがよくあって、それについて自分はよくわからないっていうことを自覚するのが難しい。グレーゾーンを知るのが難しかった。悪くなければ良いのだろうと思って、なんでも受け入れてしまって結構地雷を踏んでたなっていう。
それは悪いって言われることは多かったんですね。「やめなさい」とか。うちのお母さんはあんまり言われなかったんですけど。「お外に出たときに赤信号のときは渡ってはいけない」とか、保育園では「お友達にいやな思いをさせてはいけない」とか「泣かせてはいけない」とか、「~してはいけない」というのは明確ではっきりしているような気がしてて。でも、「これが良い」って言いながら教えてくれる人ってあんまりいないですよね。それって詐欺師が多いですよね (笑)。
齊藤:
そうかあ。悪い基準はそこら中にあふれてるわけだ。でも良い基準は明示されてないことが多い。見えにくい。
蜜さん:
あんまりない。ないというかぼんやり。「これが良いよ」って勧めてくる人って大抵、裏がある人だったりして。その後とんでもない思いする人だったりして。結局、良くない思いをしたりとか。うちの親が「これが良い」って言うのは鵜呑みにしてたんですけど、それ以外のことって「うーん、よくわかんないけど悪いって言われなかったから良いのかもしれない」くらいアバウトで。だから、良いか悪いかを聞かれても、判断するのが難しかったかな。
齊藤:
悪いと明言されてなければ、あとは全部良いことになってたのね。グレーゾーンに属するものも、“良い”とラベリングされた可能性があるってことだね。
蜜さん:
だから地雷踏んで、ひとりでビーってなってたことがあるんじゃないかなって今は思います。これ実は、恋人の話もそうなんです。二十歳くらいに付き合った人に「好きです」って言われて嫌いじゃないから、たぶん付き合っても大丈夫と思って。付き合ってみたんだけどやっぱりダメでした(笑)。嫌いじゃないから好きっていう理由で付き合っちゃいけませんね。
齊藤:ストライクゾーン広いねえ。
蜜さん:
良いのか悪いのかがよくわかってない。怖いか怖くないかの方がすごく明確だった気がします。「動物感覚」って書いたの誰だっけ?私も動物感覚だなって思ったんですけど。えーっと牛を追い込む…
齊藤:テンプル・グランディン?
蜜さん:
そうそう、テンプル・グランディン。テンプル・グランディンが「動物感覚」って本を書いてますけど、そうだなって思いますね。この社会のルールっていうのは悪くなきゃいいんだろう、男性の基準も悪くなきゃいいんだろうみたいな(笑)。アバウトでしたね。
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<ディスカッション>
齊藤:
はい。今日も、面白い話を聞きましたね。今度は、みなさんのリアクションをお願い致します。
蜜さん:
変な話ばっかりで突っ込みどころが難しいかもしれないですね。私に地雷はないのでなんでも聞いてください。変だなって思ったところとか。
参加者(A):
最後の話なんですけど、グレーゾーンも良いことになっちゃったって言ってましたね。僕の話なんですけど、僕はグレーゾーンは悪いことなんですよね。
蜜さん:おっ!
齊藤:
“蜜さんと逆で、君は世の中のほとんどが“悪い”ことで占められていて“良い”ことが少ないのね。
参加者(A):
なぜ蜜さんはグレーゾーンも“良い“ことになっちゃったんですか?
蜜さん:たぶんね、家のなかでお母さんが受け入れてくれてたからだと思う。
参加者(A):あー…。
齊藤:君のお母さんは、君について肯定的な態度が少なかったということかな?
参加者(A):
そうです。ルールにはとても厳しくて細かったので。だから自分は“良い”の方が少なかったんですね。僕は「悪いことをしてはいけない」の方が多い家だったんです。だからグレーゾーンも全部悪いことになっちゃって。
齊藤:だから僕に怒られると、すぐにゼミ休んじゃうのね。
全員:笑
参加者(A):
だからどうしたら、グレーゾーンが“良い“ことになるのかなと思って気になっちゃったんです。
蜜さん:
でもね、自閉の人で私みたいなタイプはすごく少ないです。逆パターンが多いです。
齊藤:どっちかというと彼みたいなタイプが多い?
蜜さん:多いです。すんごい多い。
齊藤:ネガティブな想像が優勢なんだね。
蜜さん:
だから私が「こういう発想もできない?」とか「こういう可能性もない?」とか言うと「そういう考え方をしたことがなかった」と言われたり、「これはこういう意図だったかもしれないよ」って言うと「すげえポジティブ」とか言われて。私としてはどこがポジティブなんだろうかと、よくわからなくなったりします。考え方のバリエーションを増やしただけにすぎなかったりするんですけど。私の発想は、みんなにはポジティブって伝わることがよくあります。
齊藤:
蜜さんの発想によって、考え方が変わるという当事者の人はどれくらいいるの?
参観者(蜜さんの友人):なかなか変わらないんですよね。
蜜さん:
難しいよね。なかなか自分の根底をひっくり返すっていうのは。コンプレックスだもんね。でも、バリエーションは増えるよね。そういう考え方の人もいるっていう意味で。
参観者(蜜さんの友人):
知識としてインストールはされるけど、実感はなかなかできないんじゃないかな。
蜜さん:
でも、共同で作業してみて、成功すると「ああ、こういう考え方で成功することもあるんだな」っていう実感にはなるのかなと思います。
齊藤:その知識を確かめる、みたいな感じ?
蜜さん:
うちの母はうちの父の育ちがあまりにも酷かったので、わたしが何歳の頃かな・・・中学生くらいの時に『毒になる親』っていう本を読んでましたね。あとアリス・ミラーの『魂の達人』とか。親にされたことが自分の生きずらさに関わっていくかっていうことが書かれている本でした。うちのお父さんは、母親が2歳の時に死んでて、ほとんど記憶になくて、その後、父親と対峙していくんですけど、それがうまくいかなくて認められていなかった感が強い人で、それで私とも凄い衝突があって、講義の後半で触れようと思いますが、私が自殺未遂とかすることになって、大変なことになるんですけど。その辺で、お父さんとの葛藤とか色々あるんですけど・・・。
うちのお母さんは、お父さんを理解するためにこれを読んでいました。放っておいたら、うちのお父さんは、私をおかしくしちゃうと思って。
齊藤:すごいお母さんだね。
蜜さん:
私に悪影響があるから、この父親をなんとか改善しないと、自分の娘がおかしくなっちゃうっていうことで、父親のネガティブマインドをなんとかしなくちゃと本を読んでたんです。私にも読ませるんです。
『毒になる親』って確か、だいぶ前に読んだので、記憶があやふやなんですけど、最後に、親と対峙して自分はこんなに辛かった!っていうのを、ぶあ~っと訴えられれば一番良いのだけれども、それができなくて。何らかの形で告白していくことが大事なんだけど、それができなくてすごく辛かったっていくことが書かれていて。ネガティブマインド入力が多くて、すごく辛い人生を送ってきたので、それはどこかで出力がなされないと辛いっていうようなことが書いてあった様な気がします。
カモミールに集まる仲間とかを見ると、入力と出力のバランスが悪いなあ、って思ってて、私もそうなんですけど。アスペルガーの人って、入力と出力のコントロールをするのが下手くそな人が多い気がします。
齊藤:出力が少ない?
蜜さん:
出力の仕方がよく分かっていない。出力の種類を知らないとか。文字でも良かったり、音声でも良かったり、絵でも良かったり。いろんな方法があると思うんですよね。相手をタップ(軽く叩く)するとかでも十分出力だったりするし。どれが自分にとって心地よい出力なのかっていうのがピンとこない。しっくり貧乏な人が多い。
齊藤:
しっくりくるって大事な感覚だよね。他者に気持ちをラベリングしてもらって、それでしっくりくるという経験が少ないんだよね、きっと。通訳してくれる人たちが少ないもんね。
蜜さん:だから、これで良いんだという自分のイメージがない。
齊藤:
つらいなあ。それ、つらいなあ。「あなたはそれでいいんだよ」言われることって大事だよね。
蜜さん:
でも一方で「それでいいよ」って言われても、「それってどれ?」みたいな時はある。
齊藤:具体的じゃないとわからないって言うことだよね。
蜜さん:
これとこれとこれの中であなたはどれ?って言われれば、「私はこれが良い」って自分でチョイスすることができる。チョイスした結果を褒められれば、何が良いのか確定できる。
齊藤:
自分が能動的に関わった結果に対して「それが良いよ」が必要なんだね。
蜜さん:
もしくは、最初から「これがいいよ」って言ってもらったほうが楽。私はしょっちゅう、これ「で」良いのか、これが良いのか、で喧嘩になります。
齊藤:「で」と「が」じゃ、だいぶ違うもんね。
蜜さん:
「これでいいよ」ってお母さんがよく言うの。たとえば、お店のメニューとか指さして「じゃあ、私これでいいわ」って言うんです。私は「これで良い」ってことはないだろうって怒る。「これで良いって」ことは、他にもっとなんかあるような気がして・・・。喧嘩の理由は、ほんとに些細なことなんですよ。おにぎりが2つあって、「たらこと明太子、どっちが良い?」って私は聞いているのに、「たらこで良いよ」って言うんですよ。そこで、キレるんですよ、私が。「たらこが良いんだろ!」って(笑)。
お母さんは私が明太子を選ぶだろうなって思っているので「私は、たらこで良いよ」って言ってるって言うんです。でも、そんなもん推測せんで良いわい!!って気持ちになる。どっちが良い?って聞いてるんじゃい!っ言って、いつも喧嘩になる。意思を確認しているのに、勝手に推測して先回りされると、わけわかんなくなっちゃうんです!
齊藤:
うん。なるほどね。先回りされると、自分の立ち位置がよく分からなくなっていってしまうんだね。
蜜さん:イタチごっこみたいになってしまう。だから全部が、フニフニになってしまう。
齊藤:
確定した他者の意思の網の目の中に、自分がどこにいるかを確かめたいだけなのにね。
蜜さん:
わけわかんないんです。「それが良いよ」って言われたら、「うん」ってなるんですけど。
齊藤:
「それで良いよ」っていう言い方には、選択の可能性が無限にあるかのようなイメージを髣髴とさせるよね。
蜜さん:
さっきの映画と同じなんです。映画もね、2時間我慢してそこに座っていれば、怖い映画観ても終わるんですよ。でも、「~で良いよ」って言い続けられると、いつ終わるのか分かんないから、怖いんです。
齊藤:「それでいいよ」って言われ続けるとどうなるんだろう?
蜜さん:混沌としちゃう。混沌としちゃうんじゃないですかね?
齊藤:それは不安定だね。
蜜さん:
だから「どれが良い?」って聞かれて、能動的にチョイスできるように、選択肢の範囲をある程度狭めてもらって、泳がせてもらいながら学ばせてもらえるっていうの幸福なんだと思います。ということに、最近気付かされます。つまり、大枠がある中で、つまり、お風呂の銭湯ね。「この湯船の枠の中でなら泳いで良いですよ」みたいな。でも「海に出て泳いでこい!」って言われたら、沖に流されて大変なことになるかもしれない。それと一緒かなと思います。
齊藤:なるほどね。
蜜さん:すみません。皆さん、長々と。
齊藤:
今日は、ここで終わりにしたいと思います。また来週。蜜さん、ありがとうございました。