蜜の部屋(随時更新!)

第3回 蜜さん講義(平成23年10月18日) 後半

*ここからはディスカッションです。


蜜さん:
 まあそんな感じで、学校に入るところまで来てしまいましたけれども。先生、質問タイムにしますか?

齊藤:次のスライドから、学齢期に入るんですね。

蜜さん:はい。

齊藤:
 わかりました。ここまでで幼児期が終わりましたので、ディスカッションに入りたいと思います。蜜さんの思考は速いのでここで15秒空けると、次の話題が始まるかもしれません。みなさん、どんどん質問してください。


<蜜さん片づけをするようになったエピソード>


蜜さん:
 いいですよ。ゆっくりで(笑)。私は、今日はお気に入りのチョコレートが、そこのコンビニで売っていることを発見して、ご機嫌なので。これ好きなんです。ちっちゃい頃から好きなんです。子どもの頃、このチョコレートの箱をいくつもいくつも貯めていました。お母さんに「中身が空なのになんでそんなに貯めるんだ」って叱られて、ある日全部捨てられました。小さい頃片付けられない子どもだったんですね。いまはすごく得意なんですけど。小さいリュックの中に、どんだけ物が入ってるんだってくらいに。中身を出すとみんなびっくりするんです。だいぶ成長してから。
 小さい頃はそういうことができなかった。お母さんには「引き出しの中にしまいなさい」とか言われてたんですが、物は見えてないと無いものになっちゃうので、私はその辺に出しておいたんです。そしたらお母さんが「踏んじゃうでしょ」とか「邪魔でしょ」とか言って怒るんですね。私も視野が狭いので、ちょっと隙間があるとそこに物を置いたりとか、目線が変わると忘れて、後ろに下がるとバリッとか踏んで、それを見て「ギャー」みたいな感じで「自分の大事なもの壊した」とかになって、自分で自分の地雷踏んでパニくって。その場合は、自分に対する怒りなんで、数十分、ただ唸ってることとかあって。「この子は問題だな」と、お母さんはその時思ったみたいなんですけど。でも、学習すればそのうち直るだろうみたいな、楽観的なところもあった。

齊藤:片付けられるようになったきっかけは何だったの?

蜜さん:収納ですか?

齊藤:うん。

蜜さん:お母さんに捨てられたことですね。

齊藤:「捨てられちゃならん」と危機感が湧いてきた?

参加者:片付けなきゃというより、捨てられないようにってことですか?

蜜さん:
 はい。4歳のときに引越しをします。チョコレートの箱とか、なんでもかんでもとっておいて、そしてそれが何個あるとかそういうことで満足してるわけですから、引越しの際に私のガラクタは膨大な量になってしまっていて。しかも片付けられないでその辺に散らかってるもんだから大変だったんですね。引越しの最終日、お母さんが頭にきて黒いゴミ袋をいくつもいくつも用意して、私のガラクタを片っ端から突っ込んでいったんです。袋がいっぱいになったら口を止めて、また次へと。黒いゴミ袋と一緒に引越ししました。

齊藤:捨てたんじゃないの?

蜜さん:
 はい。引越しした後、お母さんは私に「7日以内に全部片付けられたらまた使っていいよ」って言いました。

齊藤:すごくクールな対応だけど、背景には激しい怒りがあるね(笑)。

蜜さん:
 「7日間ね」って言われたんですけど、その頃まだ、時間の概念がまだ自分の中になくて、別なものに夢中になって。しかも黒いゴミ袋に入れられちゃったら、中に、何が入ってるか全然見えないから、私にとってないものになっちゃった。
 “にゃんにゃん”(猫のヌイグルミ)とは抱っこしたまま一緒に引越ししたので、“にゃんにゃん“は捨てられなかったんです。自分のことを”にゃんにゃん”って呼んでいたくらい自分と同一視してて。しょっちゅう使ってたんで、捨てられなかったんです。
 それで、ブラックホールのような黒いゴミ袋がいくつもいくつもあって、それを7日の間に片付けるということができなくて、最終日にお母さんがキレて、「わかりました。きょうはゴミの日なので全部捨てましょう」って言って、ゴミステーションに持ってっちゃって、泣きながら抵抗したんですけど、「何入ってるかわかんないし、私の大事なものだし」って抵抗したんですけど無駄でしたね、大人の力の前では子どもの力なんて。

齊藤:目の前で、無残にも…

蜜さん:
 はい、さよならです。そこから、反省しないと捨てられるって思って。どこにしまうと捨てられないのか研究するようになります。大人になるまで、ここにしまえば捨てられないっていうのを、探しながら生きるようになります。

齊藤:
 散らかってるから見栄えが悪いとか、欲しいときにすぐに取り出せないから不便というような動機じゃないのね。「捨てられる!」くらいの危機的状況が必要だった。

蜜さん:はい。

齊藤:
 0か1なんだね。捨てられるって、かなりレベル高いじゃない?1になったときにはじめてプログラムが起動する感じ?

蜜さん:
 無くなったときに初めて「ハッ」って思った。「こうなるのか」みたいな。片付けないと捨てられるっていうのがわかったので、「捨てられないように」っていう風に思いました。郵便受けにプルタブ…昔のプルタブって、リングの部分と(ホワイトボードに絵を描きながら)こんな風になってたの覚えてますか?

齊藤:うん。よく外して遊んだよね。

蜜さん:そう。

齊藤:それでこうピンッて飛ばして遊んでた。

蜜さん:
 そうです、そうです、それです。それをやってました、私。(ホワイトボード上の絵を指しながら)こっちを飛ばすんですね。こっちはクニュって曲がってて。このクニュって曲がるほうは、1個か2個でいいんですけど、飛ばすほうはいっぱい欲しかったんです。学校入ってから、通学の途中に集めて回って、それがあまりにも家の中に多くなって、しかもあちこちに置いてあるのでお母さんがまたキレて「捨てる」って言って、捨てられて。それでも私は、集めるのをやめなかったんで、お母さんがある日、「郵便受けの中に入る分だけなら良い」って。「郵便受けに入れなさい」って。「どうせ遊びに行くとき郵便受けの前を通るでしょ?」って。団地に住んでたので。「郵便受けに入る分だけなら良い。ついでに郵便物が届いているか見てから家の中に戻っておいで」みたいなこと言われました。

齊藤:それで納得したの?入る分だけで良かったの?

蜜さん:そうそう。

齊藤:目安ができたから?

蜜さん:
 はい。郵便受けに入れておけば、捨てられないっていうのがわかったので。「そっかあ」と思って。

齊藤:なるほど。

蜜さん:「ここならいい」って言われたら「ああそうか」って思えましたよ。

齊藤:捨てられないかどうかが大事なんだね?

蜜さん:
 おもちゃは全部そうでした。おもちゃとかお気に入りの道具は、お母さんに捨てられないかどうかです。お気に入りの道具じゃなくても捨てられないものって教科書とかね、あるんですけどね。そういう区別があんまりなくて。お絵かきノートと教科書の区別とかあんまりなかったので。

参加者:
 質問いいですか?今のお話に関わって。捨てられたことに対するショックから立ち直るっていう段階がその前にありますよね?

蜜さん:ありました、はい。

参加者:
 誰でも、自分の大切にしていたものが、もう二度と手元に戻ってこない経験をすると、ものすごいショックだと思うんですけども、それを自分の中で納得させるなんかコツみたいなのってあるんですか?

蜜さん:
 コツですか?コツなんて何もないですよ。うちの親は単に「新しいものが来るよ」って言って終わっただけです。

齊藤:入れ替わるだけだよっていうこと?

蜜さん:そうです。お茶碗のときと同じです。

参加者:そっかそっか。

齊藤:
 永久になくなるわけではないってところで納得したのね。代わりがあるということ。

蜜さん:
 そうです。さらには「あんたまたどうせなんか欲しいって言うでしょ?そしたら家に物が増えるんだから、いま捨てたってたいしたことにはならないわよ」って言われたんです。

齊藤:で、落ちたの(納得したの)?

蜜さん:落ちました。

齊藤:すごいですね。蜜さんもすごいけどお母さんもすごい(笑)。

蜜さん:
 「どうせ人生で一生使うものなんて、今はほとんどないんだから」って言われました。

齊藤:蜜さんの幼少期って相当理解力高いですね。


<蜜さんの母親への信頼度の高さと母親による説得力の高さ>


蜜さん:
 うちの母がなんか笑いますね。記憶量なんかも異様だって言いますね。良く覚えているな。って。だから、うちのお母さんは言えば分かる子だって思ったって、よく言ってました。医療機関で診断を受けた時に「お母さん、大変だったでしょ。」って言われたんだそうです。そしたらうちのお母さん「うちの子、洗脳されやすくて、すぐ言うこと聞く子で、楽だったんだけどなあ。」って思ったんだそうです。「よその子って難しいんだなあ。」って思ったそうです。すごく洗脳されやすかったって(笑)。「これはこういうものなだからこうすると良いよ」って言われると、「そうか!キュピーン!」みたいな感じで生きてきたので、単純だなあ、私、みたいな。

齊藤:
 それが良いんだね。一見、理屈の様だけど、価値観の押し付けのように無理やり納得させる場合もあるけど、お母さんはちがうよね?

蜜さん:「そうなってるのよ」って言われたことないですね。

齊藤:ああ、そう。

蜜さん:
 「こういうこともあるよとか、こういう風なこともあるよ」っていうのが多かったですね。「そうじゃないこともあるけど」っていうのもあった。

齊藤:納得出来るものがその中に必ずあったんですね?

蜜さん:信じてたんですね、お母さんのことを。すごく。

齊藤:あ~、なるほど。

蜜さん:
 うちのお母さんに対する私の信頼度って300%位だったんですよね。「この人の説明を聞いておかないと、とっても大変なことが起きる」って思ってました。「この人の説明は自分にとっては有用だ」って。「すごく大事だ」と思ってた。「この人の説明通りに生きておけば失敗は少ない」みたいな。「リスクが減る」みたいな。だから大人がいかに大事かなんです。この人から学びを得ることによって、どれほど自分は便利に生きていけるかということを、小さい頃に感じることができたんですね。

齊藤:う~ん。それは凄いね。

蜜さん:
 でも、それだけ不便してたってことです。自分一人で何かすると、大抵とんでもないことが起きてたっていうことです。だから「この人の言うことを聞いておいた方が安全だ」っていう判断です。自分で何かやろうと思うと必ず何かとんでもないことが起きるんですよね。とんでもないことって言うのが、普通の人の考えるとんでもないことの上をいっているんで、尋常じゃないことになってしまう。他の人が想定する範囲内に収める為には、母のアドバイスっていうのが凄く大事だったんです。「世の中は恐ろしいところだ」っていうのが、生まれてこの方ずっと印象としてあるんです。
 二十代後半、自分がアスペだと分かって色々考えるようになってから、そうか、私って恐怖に苛まれて生きてきて、お母さんのアドバイスっていうのは凄く役立ってて、小さい頃にお母さんは人生の説明書だと思ってたけど、ある意味説明豊富な親の元に生れて良かったのかなと考えるようになりました。説明の少ない親の元に生れたら、私もっととんでもないことになっていたと思います。

齊藤:
 お母さんも昔、おなじようなところで困ったことがあったから、説明が上手なのだろうか?

蜜さん:
 困ったというよりも、頭にきてたって言ってました。お稚児さんって知ってますか?

齊藤:お稚児?

蜜さん:
 お稚児さん。何歳くらいなんだろうな、小さい子だけ集められて白塗りにして、麻呂みたいな眉にして、シャンシャンと歩く、変な行事なんですけど。むこう(本州)だけの風習かなあ?お稚児に、ある日突然連れて行かれて、何が起こるか分からないうちに、ベタベタ塗りたくられて、そして機嫌よく歩かないからって言われて、叱られて、すごく腹が立ったってお母さんが言ってました。「子どもの意思というものがあるんだから、『お稚児さんしたい?』とか、確認しないで連れて行って、しかも気持ち悪いものをベタベタ塗られて歩けって言われて。散々何キロも歩かされたら機嫌も悪くなるわ」って。

齊藤:(ネットで調べてから)どうやら伝統的な儀式のようです

蜜さん:伝統的な儀式。

齊藤:
 大方の子は、不安でも、わあ~って声援を送られたら、思わずえへへへ~って笑っちゃうんだろうけど、幼少期のお母さんは、しっかりと自我を持っていて、私は見世物じゃないっていう意識がどこかにあったのだろうね。

蜜さん:
 ムカついたらしいですね。おばあちゃんに手を引かれて、「かわいいよ」って言われて、そこだけなんかこう、良かったなって。おじいちゃんに対しては、反発心があったので、「私をどこに連れて行くんだぁ!」と思ったと言っていました。だから、自分の子どもには「どうしたいの?」って聞こうと思ったらしいです。
 うちのお母さんは状況説明を子どもにするのが大事だと思ってて、私はそういうところに生れた自閉ちゃんだったので。ここまでうまく生きて来られたのは、お母さんの世の中に対する考え方とか叩き込まれたからかなと思います。

齊藤:そうだね。

蜜さん:うん。

齊藤:
 どこかで、世の中は不条理だということを子どもに説明することは大切だよね。不条理な部分を見せまいとするんじゃなくてさ。その不条理を自分なりにどのように消化すればいいのか。何歳であっても、不条理と感じる事柄はあると思うのね。大人だけが不条理を抱えているわけじゃない。いつも世の中には存在するのです。その事実は大人が伝えるのが義務だとは思うのだけど。

蜜さん:
 ええ、子どもを子ども扱いしないっていうのは大事かなとは思います。というか、子どもをちゃんと一人前扱いするというか、そこはちゃんと意思があって言葉を持っていて、人格としてあるものだからそれを尊重するっていうのは凄く大事なことかなと。特に教育とか子育てとかの面ではそうなのかなと思います。


<直感的な動作が苦手なことについて>


齊藤:さっきのお父さんの急ブレーキ、何度やっても手はでなかったの?

蜜さん:たまにちゃんと出てましたよ。ブレーキ踏むって分かっている時は。

齊藤:ほお。

蜜さん:
 お父さんが急ブレーキ踏む時は必ず、前か後ろに車がいない時だった。だから前を見て後ろ見て、車がいない時は気をつけようと思ってました。

齊藤:状況をみて予期しているのね?

蜜さん:
 それで予想通り、急ブレーキを踏まれたら両手を出す。両手を出したら褒められる。良し!

齊藤:
 「前後に車がいない時はお父さんが急ブレーキを踏むかもしれない」というルールができ上がったんだね。

蜜さん:はい!

齊藤:なるほど。

蜜さん:
 でも、29歳で私が転んだ時は、車の中ではありませんでしたし、バックミラーを見て前後に車がいるかいないかなんて関係ないですし、つるっと滑ったのは、突然だったし、やっぱり両手は出ませんでした。

齊藤:
 予期を誘発するような手がかりがないものね。転びそうっていう雰囲気を自覚するっていうことができていないのかな。

蜜さん:
 うん。バランスが悪いっていうのは分かるのかもしれないですけど、このまま行くと転ぶっていうところまでの予測が・・・ないのかなと思います。

齊藤:どうしてだろう?

蜜さん:
 大人になってから、私、自転車に乗っている時に電柱にぶつかったりした時には、ガンとぶっかったショックで、その後に倒れるっていうのが分かるので、足を出すとかできるようになったんですけど、その時に何か別の物を持っていたり、何か別のことをしていると、そっちに注意を奪われてしまうので難しい。

齊藤:
 意識して身体をコントロールしている感じだね。「ぶつかった→きっと倒れる→だから足を出す」というように。知らない間に体が動いているっていう感じが薄いというか、ないというか。

蜜さん:それはないですね。

齊藤:
 意識的に状況を分析してから反応してる印象を受けるんだけど。

蜜さん:「来た!→やるぞ!」みたいな感じですね。

齊藤:
 そうかあ。でも、事前にいろんな状況を想定して訓練しておくことは無駄じゃないよね?

蜜さん:
 無駄じゃないです。「来た!→やるぞ!」ができる様になったのは、「来た!→考えた!→やるぞ!」が、だんだん「来た!→やるぞ!」になったから、だいぶ速くなりました。

齊藤:やっぱり速くなるんだね。

蜜さん:
 なりますね。昔は「来た!→何だろう?→どうしよう?→考えよう→やるぞ!」みたいな感じだったので。


<内的な感覚の意識化について>


齊藤:
 ケガなどの目に見える外傷ではなくて、胃がムカムカするとか、体温が変わったとかいう内科的な変化に対する気付きはどうなんだろうか。

蜜さん:全く、分からないんです。

齊藤:成人した今も?

蜜さん:はい。

齊藤:内科的なものは訓練してもなかなか難しい?

蜜さん:
 訓練、しずらいんですね。この辺に違和感があるんですけどって言って、すご~く考えた末に病院に行ってみたら、「胃潰瘍です」って言われました。

齊藤:
 えー!かなり痛かったんじゃない?痛かったんだろうね、蜜さんの身体は。

蜜さん:
 でも、良く分からなかったんです。なんか違和感があるだけなんです。でも「胃潰瘍です」と言われて、でも、そんなに大きくないからお薬で治しましょうと言われて。でも、仕事に行ったりとか、ストレスのかかることは避けてくださいと言われたので会社を休みました。

齊藤:“痛い”じゃなくて“違和感”なんだね。

蜜さん:
 なんか、いつもと違うような気がする。以前に、いつもと違うような気がするっていうのを放っておいたらとんでもない目にあったことがよくあったな、このままいくともっとひどいことになるかな、しかもついでにちょっと風邪も引いているみたい、ちょっと熱もあったしなあ、う~んしょうがない、幾つも症状が重なったから病院に行こうかと思ったんです。病院に行って、「先生、熱が37度超えてて、この辺に違和感があるんです。」と言ったら、「胃潰瘍です」と言われたんです。

齊藤:
 そのときは、風邪の症状があったから病院にいったんだよね。違和感だけじゃきっと行かなかった可能性が高いんだね。

蜜さん:
 私、だからたぶん、ガンになって死ぬとしたら、気付いたときは末期だと思います(笑)。

齊藤:ある意味幸せかもしれない(笑)。

蜜さん:
 そうなんです(笑)。 私、今も38度以上の熱があっても気が付かないんです。

参加者:痛みに対する感覚鈍磨と同じですか?

蜜さん:熱にも鈍感なので、自分の体温が上がっているかどうか分からない。

参加者:違和感が先だったの、風邪が先だったの?

蜜さん:分かんないです。

参加者:分かんないのかあ。

蜜さん:
 熱があるっていうのはなんで気が付いたかっていうとですね、いつもより体の動きが鈍いと思ったからなんです。動きが鈍い時は熱があることが多いなと経験から学んだんです。体温計で熱を測ったらやっぱり熱があった。でもこれは病院に行くレベルなのか、そうじゃないレベルなのか、ちょっと考えようとも思った。ちょっと考えているうちに、そういえばこの辺に違和感があるな。そうなんだよな。ちょっと前からあったかな。いつからあったかな。う~ん分かんないけど違和感はあるな。う~んって悩んで。そんな感じです。ノロノロしてる。

齊藤:
 うちの子どもと似ているのかな。体調が悪いことを気付いてないから、外遊びなんかして、気付いたときには、グターッってなってる。でも、親が、症状を言語化して返してあげて意識化を促すとか、体を温めて気分をすっきりさせてみたりして、自分の体調の良いときと悪い時の差を比べやすくしたりとかするよね。何回も繰り返しているうちにだんだん分かってくる。

蜜さん:
 未だにダメです。だから今日私、鼻を垂らしているんですけど、熱があるのか、ないのか分からない状況なんです。体温計があったら計った方が良いだろうなと今思ってます。

齊藤:蜜さんの今日の表情は、具合い悪そうな顔に見えます。

蜜さん:
 そんな風に、みんなに言われてから「ああ、そうか」と思って体温計を使うんです。でも、ちょっと動けると元気だと思っちゃうんですね。

齊藤:うんうん。

蜜さん:
 動ける=元気っていう間違った考え方が頭の中にあって。それが間違いだとすると、私、365日あったら360日位具合いが悪いことになっちゃう。

齊藤:調子が良い時の方が実は少ないんだね。

蜜さん:
 そうです。動ける=元気っていう方程式を私の中から抜いてしまうと、365日中、360日位は調子が悪いことになってしまう。

齊藤:鼻がグズグズしたりっていう兆候はいつもある。

蜜さん:
 うん。そうですね。だから違和感が2つ3つ重ならないと病院に行かない。

齊藤:兆候が1つじゃ、行かないのね。いつもあるから。

参加者:熱測らなくていいんですか?

齊藤:そうだね、熱あるんじゃない?

蜜さん:
 放っておくしかないです。あっ、いいものあったんだった!最近、コンビニでこんなもの売ってるんですね。

参加者:それ何ですか?

蜜さん:こう見えても体温計(薄っぺらいカードみたいな体温計)。

参加者:お~!!

蜜さん:
 体温分からない人だから、こういうものがあると便利だなと思って、買ったんですよ。

参加者:どこで測るんですか?

蜜さん:口の中でも良いですし、脇の下でも良いそうです。

齊藤:どうぞ、測って下さい。

蜜さん:便利でしょ。

齊藤:
 気分を意識することはどうなのだろうか?今日は不安だなとか、いやな予感がするなとか、イライラしてるなとか。

蜜さん:あんまりない。ちょっとは気がつくときもあります。

齊藤:どんなときに気付くの?

蜜さん:
 やっぱり身体の動きが鈍いときかな。なんか「身体の動きが鈍いな」とまず思う。その次に「からだの調子が悪い」状態に移行しなかったときには、病気ではなく気分が悪いのかなと考えます。体調じゃなくて気持ちの問題なのかなという風に。

齊藤:手がかりは、身体の動きというような外部から確認できるものなんだね。

蜜さん:はい。

齊藤:
 内的な感覚じゃないのかあ。胃の辺りがズンッと重たいとか、心臓がどきどきするとか。

蜜さん:
 皆さんの感覚とは違うかもしれないんですけど、たとえば普段だったら5分で家を出られるところが今日は30分かかっていると、これは体調が悪いなという風に考えるんです。体調が悪いから時間がかかっているのねっていう風に考えます。

齊藤:ふうん。

蜜さん:
 最初に時計を見て、それからもう一回時計を見たときに「いつもより針が進んでいる=自分の動きがのろい=ちょっとなんか考えなきゃな」っていう風な感じです。

齊藤:
 内的状態を推測するには、外部にある数字を介さないといけないんだね。僕が蜜さんに「顔赤いよ」って言ったくらいでは、次からその状態を記憶して利用できるとは限らない?。

蜜さん:
 「顔赤いよ」って言ったら「本当?」って「鏡貸してくれる?」っていうそんな感じです。

齊藤:事実を確認しておしまいっていうことだね(笑)。

蜜さん:
 そうです。それが熱に関係あるかどうかはわからないし。私が恥ずかしいから赤いのかなとかも考えられる。そういうところまで話を膨らませてもらわないと。

齊藤:なるほど。

蜜さん:「赤いね」終わりみたいな。

ピピピ(タイマーの音)

蜜さん:7度5分超えてますね。

参加者:えー!

齊藤:ここで講義やめようか?家まで送るよ。

蜜さん:大丈夫です。私38度超えてなければ動けるので。

齊藤:わかった。じゃあ今日は家まで送りますので。

蜜さん:
 はい。7度6分ありました。でもこれは序の口ですよ。私、大人になって自分が具合悪いってまったく気がつかないで仕事に行って、しばらく働いて、何時間か経ったときに、顔が真っ赤だったらしくて、首の辺りも赤かったらしくて、私ファミリーレストランに勤めてたんですけど、後ろからパントリーっていって、お料理が出てくるスペースのところに入ってきた女の子に後ろから「ねえねえ、首の辺りとか顔とか赤いけど大丈夫?」って言われて「熱あるんじゃない?」って言われて「測っといでよ」って言われたんで、体温計で測ってみたら38度超えて9度くらいあったのかな。「39度あった」ってケロッと言ったら「ほかの人に風邪移すから帰れ」って言われたので帰りました。

齊藤:動けてるんだね?

蜜さん:
 動けるんです。ちょっとのろいんですけどね。そんときはたぶん時計見なかったんで気がつかなかったんでしょうね。


<入力と出力のアンバランスについて>


蜜さん:
 私、数日前、入力について考えたんです。建物に例えて。おお、これしっくり来るって。私たちの中には、入口は広いけど出口に狭い人がいっぱいいるよなって。

齊藤:どういうこと?

蜜さん:
 入口広いから、お店でお買い物が出来ると思って、お客がいっぱい入ってきて、でも、出口が狭いから、出られなくなって。なんでこんな設計にしたんだ!ってお客に怒られるみたいな。つまり、入力は多いけど、出力がうまくいかない。そういう人、アスペルガー症候群の人の中にいっぱいいるよねって仲間と話してたんです。入口は大きいけど、出口の狭いデパートみたいな感じだよねって。

齊藤:出口に殺到したら危ないね。

蜜さん:
 そうです。デパートの中で渋滞するから、みんな結構苦しいんです。だから、(意識的に)お客さんをいないことにしたりとか、そもそも入ってなかったことにしたりとか。あと入場制限かけたりとかする。

齊藤:意識的にいないことにして、仮想的に心のスペースを増やすってこと?

蜜さん:そう。時々お客様の中におかしな人がいて。金槌持ってる人とかがいて、

齊藤:頭の中で出口を叩くの?

蜜さん:
 出口を広げることは、それはそれですごく自分が傷つくことなんだけど。とっても苦しいし、嫌なことなんだけど。でも、結果として出口が広くなってみたら、少し楽になったっていうこともある。

齊藤:出力が少ないというのは、表現方法が分からないっていうのと一緒?

蜜さん:
 うん。大人になっても出口は狭いんですね。狭い出口に、お客が集まってきて、ガンガン叩いて壊してくれて。その時はハートブレイクな感じなんですけど、後で役に立ったねっていうこともある。でも、そのお客さんは不満たっぷりで出口を壊して帰るわけですから、それ以降そのお客さんは来ない。ということでそのお客さんとの関係はもう作れない。

齊藤:
 うん。出口を広げてくれたことには感謝するけど、だからと言ってそのお客さんと信頼関係が築ける訳ではないということね。

蜜さん:はい。

参観者A:
 今までの話は全部入力の話のように聞こえてきて、出力について何かエピソードはないんですか?

蜜さん:
 出力ですか?私がやっていることに、ふと関心を寄せてくれたと時に「ああ、良いことだ」ってラベリングがされると、次からそれをやるっていうのはある。
 あと小さい頃にたくさん入力がないと、あとになってからの出力が難しいのかなと思います。うちのお母さんほど、入力をたくさんしてくれている親はいないということが、他の当事者さんの話を聞いて感じますね。うちのお母さんと話をするとすごく視野が広がるみたいに言う当事者さんがいて、「蜜さんのお母さん良いな」って言ってくれます。こういう人が傍にいると便利だよねって。
 でもうるさいこともあります。今日もそうなんですけど、私がパソコンに入力してる時に、お母さんが何か喋りかけてくるんですね。お母さんの喋ってることに注意を向けるとパソコンの入力を間違うのでイライラする。さらにお母さんはテレビを付けながらそれをやるわけですよ。私はテレビを聞きながら、お母さんの話を聞きながら、パソコンをやらなきゃいけなくて、でもそれはすごく難しくて。それをいっぺんに持ってくるお母さんにだんだんイライラしてくる。私がやってることを、突然後ろから覗き込んだりもするんですけど、私、音がこの辺(肩の辺りを指して)から後ろから迫ってくるのが、すごく不快なんですね。

齊藤:肉食動物に食べられまいとして、背後を警戒する草食動物みたいだね(笑)。

蜜さん:
 笑。特に肩の後ろから聞こえてくる、咀嚼音?くちゃくちゃと物を食べてる音が不快。

齊藤:
 まさしく草食動物的な恐怖だね。食べられるかもしれないという本能が作動しているのかもしれないね(笑)。

蜜さん:
 私がパソコン入力してる時に、お母さんがオニギリとか食べながら近づいてきて、くちゃくちゃ音をたてるから、私、腹が立って、そのへんの物、パシッて投げつけたりとか、「うるさい」とかって言って怒るんですけど。お母さんやめないんですね。そういうところはすごく嫌だなんて言ったら、お母さんに対してちょっと失礼なのかな。

齊藤:良いんじゃないですか?親子ですもん(笑)。

蜜さん:
 わがままかなとか。最近、みんなが、良いお母さんだねって言ってくれるので、そんな良いお母さんに対して、不満を抱くということは、とってもわがままなことなのかなとちょっと反省したりしてます。

齊藤:
 さっきの話に戻るけど、お母さんの蜜さんへの働きかけは、入力ではなくて、出力を増やしているように聞こえるんだよな。ちゃんと場合分けしてから入力してるでしょ。場合分けしないで入力されたら、後で頭の中で自分で整理しなければならない。でも、お母さんは、出力を想定した上で、最初から入力を仕分けているからこそ、今の蜜さんの表出力の豊かさになっているのではないかと思ったりする。

参観者:
 本人的には入力にしか感じないけど、実は出力に繋がってたってことですね。

齊藤:そうそう。

蜜さん:
 あのー、私は基本的にこういう人(入口が広くて出口が狭い図を描いて)ではあるんです。きっと、お母さんは交通整理の仕方を教えてくれたんですね。あんたはこういう状態なので(入り口が広く出口が狭い状態)、こういう風に(入口と出口の幅が同じになるよう)お客さんを入れれば良いんじゃない?という風に。

齊藤:入力を出力の幅に合わせるということですね。

蜜さん:うん。

齊藤:なるほど。

蜜さん:
 幼児期、私が暴れていた、うちのお母さんは、この子は入口にあわせていると思ってたんですよね。入口が広くても出口が狭いから、どうにもならなくなって癇癪起こす。だから出口に合わせたら?っていうことを私にアドバイスするわけですよ。私を見ていると、入口は広いけど出口は狭いという分析を最終的にしたのだと思います。だから齊藤先生の仰ることは、私の感覚で言えば交通整備という言葉で整理されるんだと思います。

齊藤:
 定型発達者は出口が広いのかな?それとも交通整備が上手?蜜さんからみると、どう見えるの?

蜜さん:出口も入口も無いんだと思います。広場なんだと思います。

齊藤:あらゆる方向から出入り自由な感じだね。

蜜さん:
 そう、あちこちで誰かと繋がって。野原でやってるフリーマーケットみたいな。

齊藤:
 ほお。システムがオープンなんだね、定型発達者は。アスペルガー症候群の人は、情報の流れが直列で、なおかつクローズシステムなんだね。計算モジュールみたい。

蜜さん:そうそう。

齊藤:
 そんなに僕たちってオープンかなあ?少なくとも僕は直列な気がします(笑)。

蜜さん:
 私が思うに野原の人と建物の人がいるわけですね。建物の人は、いっぱい入れて出口で詰まって、みんな怒るみたいな。怒られても何が起こったか分からないから、構造上の欠陥でした、すみませんでしたって謝るしかない。

齊藤:野原は出るのも自由だし入るのも自由?

蜜さん:はい。

齊藤:野原の中では均衡は保たれてるの?

蜜さん:はい。

齊藤:なるほどなあ、そんな風に見えるんだなあ。

蜜さん:建物タイプは論理的な人。野原タイプは感覚的な人。

齊藤:うちの奥さん野原タイプだなあ。僕は建物タイプだと思う。

蜜さん:野原タイプの人は、入口と出口どこにあるかよく分かんない。

齊藤:
 わかるなあ。どこ向いて喋ってるのか分からないし、どこ向いて行動してるのかも分かんないときがある。もっというと何を利益に動いているのかがよく分かんないときもある。

蜜さん:
 アスペルガー症候群の人の中に、建物の中が迷路になってる人がいます。中は迷路なので、お客さんが流れるのに時間がかかるので、渋滞する。だから、入口を一旦閉めて、入力を一回カットしちゃえば良いんじゃないかって思ってる人。感情のスイッチを切るっていう感じ。

齊藤:水量が増えてきたから、水門を閉ざすみたいな感じ?

蜜さん:
 そう。それで、入力を止めている間に、迷路の中にいる人たちの交通整理しようみたいな。

齊藤:
 入口さえ止めれば順次お引き取り願えるっていうシステムなのね。面白いなぁ。

蜜さん:
 中が空いてきたら、入口をまた開けて、中がいっぱいになって出口が渋滞してきたら、また入口を閉めるみたいな。以下、繰返しみたいな。
でもたまに、迷路の中で、ある人が気付くわけですよ。この迷路ってこう通ればすぐに出れるんだっていうことが。

齊藤:すると出口にみんながだぁーっと押し寄せる!?

蜜さん:そう!みんながだぁーってなるんですよ(笑)。

齊藤:
 その瞬間は、意味が分かったとか、感情がラべリングされた瞬間に相当するんだね。

蜜さん:
 出口では、人が死んだりとか、苦しいことが起きたりして、すごく疲れる。疲れたり具合悪くなったりする。それ以降、何も出来なくなったりする。

齊藤:
 やっぱりクローズなんだね。定型発達者は、自分は論理的に真っ直ぐと考えてると思いつつ、実はあらゆる方向から影響を受けながら変容しているように思う。

蜜さん:広場だから、私は移動してないって言うんですよ。

齊藤:
 そうだね!一貫性はあると定型発達者は思い込んでいるけれど、実は流動的なんだよね。ところで、迷路のメタファーって何に当たるんだろうね?迷路は大事だよね。

蜜さん:迷路大事です。

齊藤:
 自分の心を外部の圧力からを守るためには特に大事だよね。まずは入場制限できるっていうのが大事でしょ?

蜜さん:はい。

齊藤:
 次に、入ったお客さんをいかに混乱させないように交通整理するのかってことが大事だよね?

蜜さん:はい。

齊藤:広場にはなれなくてもさ。

蜜さん:はい。

齊藤:
 入力をすぐに出力に結びつけずに、何ステップも何ステップも場合分けしながら考ることが迷路に当たるかな?

蜜さん:そうなんですよね。

齊藤:
 そうだよね。場合分け思考が迷路の役割をしていると考えてみよう。

蜜さん:
 問題なのは、その人にとって答えは一つなんですよ。答えは一つだって分かっているけど、同時に選択肢がたくさんありすぎる状態なのかな。やっぱりしっくりビンボーの話になるんですけど、自分にとってしっくりくることは一つしかないのに、迷路なもんで選択肢もしくは場合分けがいっぱいあって。選択肢をたくさん持っているけれども答えが一つしかない人。

齊藤:
 出口が一つしかないのに、選べるものが一杯あるから迷っちゃうんだね。定型発達者は、その場その場で出口を変更するもんね。みんなに言われたら「それもありかな」って瞬時に変更するのは広場タイプの人は得意だね?

蜜さん:
 はい。迷路を持つ人は、答えが一つしかない人だと思います。さらには自分には答えが一つしかないっていうことを分かってない人たちです。

齊藤:
 ああ、それしっくりくるね。出力はいっぱいあると自分では思い込んでいるけれど、自分が納得する出力は一つしかない。本当は建物タイプなのに、広場だと思い込んでいるということになるのかな?

蜜さん:
 そう、それしかしっくりこないのに、いくつもいくつも探しあぐねるので、すごい時間がかかるし、すごい疲れるし、すごい渋滞も起きるわけです。みんな一気に出口に押し寄せるのでパンクするんです。

齊藤:
 そういう人は自分が色んな選択肢を持っていると自覚してるのかな?

蜜さん:
 んー、知識として知ってるだけだと思いますね。自分が欲する出力は一つなんだけどそれに気がつかないというか。
私は、あんたの人生はあんたが選ぶんだよって言われてきた。あんたが決めないで誰が決めるのって。例えば「あんたの代わりに、お母さんがトイレに行ってすっきりするの。あんたはすっきりしないでしょ」って。トイレの問題はあなたで解決しなさいって言われてたんです。
 ただトイレは2階にもあるし3階にもあるけど、あんたはトイレしたいのって言われるだけじゃ、知識だけが蓄積されるだけです。「どこにトイレがあるのかは知ってるよ」って。でも自分がトイレに行きたいかどうかは別のこと。

齊藤:
 出口に合わせて入力の幅を揃えることがないまま、選択肢だけ増やすと、かえって出力が混乱することがあるということだね。

蜜さん:
 はい、たぶん。私が、出力している時に、それを見た人が「あんた、ちゃんと出てんじゃん」とか「あんたこうしたいんだ、ふーん」とか、反応があったから、出口を整備することができたんです。「あんたの出力は、こうなんだからこうしたら」っていうのがはっきりしてたんだと思います。あんたの出口をどこに作るかはあんたの建物なんだから自分で決めなさいみたいな。ところでうちのお父さんは「入口>出口」で、お母さんは「入口=出口」ですね。

齊藤:
 蜜さんは、両親のハイブリッドだね。お父さんのモデルを性質として受けつつ、その中にお母さんのモデルを搭載したという感じ?

蜜さん:そう。

齊藤:素晴らしい。

蜜さん:
 だからお父さんの性質で生まれたんだけど、交通整備の仕方はお母さんが教えてくれたみたいな。そういう感じなのかなと思います。
 最近、入力・出力について当事者会の中で話が出ますね。相手がどう受け取るかまで考えないと出力は難しい。相手の反応が自分の期待や想像するものと違うことが多い。そうすると自分がびっくりしてしまう。自分がびっくりしないように出力するには、どうすればいいかわからない。

齊藤:お互いに?

蜜さん:
 はい。お互いに。空港の検査場ってあるでしょ?検査場行った時に、みんなが考えることって同じだと思うんです。すぐ通れる場所を選びますよね。入口が広いと人が少ないように見えるから、すぐ通れるんじゃないかと思う。でも、行ってみたらやたらと荷物をたくさん持っている人がいて、やたらと時間がかかることってあるでしょう?そういうことが頭の中で起きてて。自分が荷物をいっぱい持っている場合、他のお客さんにかかる迷惑とかそういう所まで考えないじゃないですか。そこまで考えて検査場に行くのは難しい。自分の荷物だから、飛行機の出発時刻が迫っていたら、否が応でも荷物を持って突撃しなきゃいけないでしょう?いつも、そういう状態です。急いで飛び乗る時の検査場に、常にいる感じ。そういう時に、他の人にかける迷惑とか、どこを通れば自分が安全にしかも速く出られるかなんて全然分からない。私たちは、荷物をそんなに多くは持ってないだろうと思われるけど、意外と荷物持ってたりして。

齊藤:
 空港は検閲が厳しいよね。検閲が厳しいのは、危険を排除するためだよね。そうすると、蜜さんの出口が混むのは、検閲なしに出力すると、自分がびっくりしてしまうような事件が起きるから、意識的に検閲を強化しているとはある?

蜜さん:そういう人もいますよ。

齊藤:検閲が強い人は多いかな?

蜜さん:
 うん、多いですね。出口が混雑する理由は他にも考えられます。例えば、自分が荷物をいっぱい持っているのを知らない人がいます。他の人と比較しないから。出発時刻ぎりぎりで飛行機に乗ろうとしてる人って、自分の荷物が大きかろうが小さかろうが、そこ通るしかないわけだから、他の人が小さい荷物で先に預けてるからどうだとかそういうこと考えないでしょ?通らなきゃいけないのは一緒ですから。だからこそ「~でなければならない」思考になるんだと思います。

齊藤:
 飛行機に持ってく必要のない荷物もいっぱい持って検査場に押し掛けているっていう可能性もあるっていうこと?

蜜さん:
 はい。でもそれは良く分からないし、全部自分の荷物だからその辺に捨てていくわけにもいかなくて、自分で持っていなければいけない。そうせねばならない。そこを通らなければならない。結果的に「~でなければならない思考」みたいになる。

齊藤:
 入口から出口の過程で、情報がフィルタリングされて、減っていかないんだね。情報の選別はしないのかな?

蜜さん:選別してる時間が無いのかも知れません。空港に例えるのであれば。

齊藤:そうか。じっくり時間があればできるもんね。

蜜さん:
 両手が出るか出ないかの話ですけど、「きた!→そうか!→考えた!→やる!」ってやるところを、定型発達者は、「よっ」と一言で終わるわけですよ。

齊藤:うん、そうだね。

蜜さん:
 「よっ」ていう風になるためには、「きた!→そうか!→考えた!→やる!」を一気に出力しなきゃいけないですよね?そうすると、考えてる時間が無い。いつも煽られてる気持ちになって入る気がします。

齊藤:落ち着かないね。追いかけられてる感じだね。

蜜さん:うん。

齊藤:
 ADHDは前のめりに物事を進めている感じがする。追いかけられているというよりは「空港に早く着きすぎて、まだ飛行機来てない」みたいな。未来を先取りしすぎて、いつも待ちぼうけ状態のしんどさを感じることが多いように思うんだけど。

蜜さん:
 だとすると、アスペルガーの人は、たくさんの荷物を検査場の人が何回も何回も検閲するって感じですよね。

齊藤:そうだね(笑)。

齊藤:
 お母さんとの相性はそういった意味でも良かったのかもね。ADHD的な生き方とアスペルガー的な生き方との良いところが、お互いに補い合っている感じがする。未来先取り方のお母さんの説明が本当に役立ってるもんね。

蜜さん:表現力という意味では成功例なのかなと思います。

齊藤:
 蜜さんは、講義のあと「今日の内容で良かったんでしょうか」といつも確認してくれますが、とても分かりやすいですよ。

参観者:そうですね。

蜜さん:
 でも、自閉症の人は迷路の中で困ったり、自分が迷路なことを知らなかったり。出口が狭いことを知らないために、消化不良になってる人が多くて、みんな便秘なんですねえ。

齊藤:
 頭の便秘ね。思考の便秘ですね。なるほど、よく分かりました。じゃ今日はここまでにします。次回からは学齢期に入ります。ありがとうございました。