第1回 蜜さん講義(平成23年10月4日)
・相手が合わせてくれるならば、ないしは100%自分のやり方でよければ、関係ができる。等分の距離を持ったまま付き合うのが難しい。
・就職すれば、仕事だけに専念できるので、他者とやりとりは必要ないと思っていた。でも実際は違った(笑)。
・幼児の私は、ある日、ストーブの上の網が横棒だけだったので、縦線が欲しいと思った。そこで、割り箸を縦に並べて置いた。そしたら燃え出して、びっくりした。置いたらどうなるかイメージしなかった。想像力の問題ということか。
・燃えた割り箸を集めて母に持っていった。燃えていたけど、熱くはなかった。冷たいような、しびれたような感覚はあった(感覚鈍磨)。お母さんは燃えている割り箸の束を握っている私を見てびっくりしていたが、私の方はお母さんが何にびっくりしているのか分からず、混乱していた。私は、割り箸が燃えたことに驚いていたのだけれど・・・(笑)。
・子どもの可能性をつぶさないことが母の教育方針だった。他の大人に比べると、説明の多い大人だったと思う。
・「あなたは何をしたいの?」と、私にいつも尋ねてくれた。
・1分間のワークの後、開口一番、どうして皆さんは、今、テーマと関係のない話をしたのですか?と我々に投げかける。
・皆さんは、指示されていないのに、まず雑談をしていました。私達は、その雑談ができない。いつもテーマにまっしぐら!
・相手の話だけを聞いていて、非言語的な情報(表情やしぐさなど)を読み取れない。
・非言語的な情報は見えてはいるけれども、メッセージ(相手の意図)が含まれているものとは思っていない。
・会話中、相手の言葉の内容を理解するのに精一杯で、自分にとってどんな意味なのか考えるのにまた時間がかかる。
・生まれた時の記憶。すごく、まぶしいと感じたことを覚えている。すごく泣き叫んだ記憶もある。母親に聞いてみたら、すごく泣いたのは生まれた直後とのこと。だとすると、まぶしいと感じたのは手術台の光だったかもしれない。
・乳児室に寝かされていた時のこと。カメラのフラッシュに対して、私だけ痙攣していたので父親は驚いたそう。視覚過敏だった。
・ちょっとした物音に対しても、身震いして、泣き叫んでいた。
・衣擦れの音がとても嫌だった。なぜなら、母親が離れていく音、物が動く音だったから。怖いという気持ち。
・パチンコ屋の騒音について。全身が傷口になったところを刺激されるような感覚。
(聴覚刺激なのに触覚的に捉えられているところが興味深い。うるさいというよりも、痛いという感覚)
・怖くて身動きができくなる。その場で固まっていた。母親に抱きかかえられて、その場から離れる。
・大人になってからは、そのような不快な体験は、「心の引き出しに入れる」ことで対処するようになった。無理やり押し込んで、なかったことにする。
・大きく揺らされると、安心できた(おそらく遠心力で身体全体が腕に押しつかられる感覚が気持ちよかったのだと思われる。深部感覚)。
・小さいときは、文句を言いたかった記憶しかない。
例えば、天井でグルグル回ってるやつが、見えなくなる、風が吹いて違う動きをするだけでもびっくりしていた。その景色に順応すると落ち着くけれど、また抱っこされて景色が変わると、そこでもびっくり。
・「安心だよ、怖くないよ」という大人の言葉を素直に信じてしまう。こういう可能性もあるから危険である、ということも説明しないといけない場合もある。
・答えは「偶然通りがかった近所の人にあけてもらい、無事帰宅できました!」
でした。
・答えは「帰宅時におばさんについてきてもらい、母の目の前で、チョコレートをもらわなかったよと説明してください!と、おばさんに頼みました」でした。
・一日中、見ていられた。映像に飽きると、姿勢や位置を変えるだけで、リフレッシュが可能だった。視点や体感が変わるから。
・その穴が他の子どもにも見つかり、押入れが大変なことに。ぶつかって痛いし、困った。
・そのうち先生に見つかってしまい、危険だということで穴がふさがれてしまった。
・その後、ふさがれた押入れの穴のそばで、映像を思い出して楽しんでいた。私にとって、押入れの穴は、「音のなる万華鏡」だった。
・トイレに行きたいのかどうかがよく分からなかった。
・母親の言葉によって初めて、排尿や排便が自分の身体に属しているものだと気付いた!
「これはしなければならない義務なんだ!」と思った。
・お金と交換。ルールとして、母親は保育園に入る前から私にやらせていた。
・私としては、その行為の意味が分からなくても、システムとして納得できればよかった。
・知識の修正が難しいことを母親は「自閉症者の頭は、CD-Rであって、RWではない」と言っている。
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<質問コーナー>
参加者:
パチンコ屋の騒音のエピソードについて。なかったことにできるようになったきっかけは?
蜜さん:
大人になってからできるようになった。パチンコ屋には、距離をとったり、近づかなかったりしていた。でもある日、工事現場のそばをどうしても通らなければならなくなった。ある日、目をふさいで通ったら、足が動いた!目を手のひらで完全に覆ってしまうと大丈夫だった。それをやっているうちに。見えなかったことにすればよいと思うようになった。その後、アレンジしていき、心にたくさん引き出しを作ることにした。嫌なことはその引き出しに入れて、しまってしまう。そこにあるのは知っているけど、しまっているので耐えられる。ちなみに目を閉じるだけでは光が入るのでダメ。耳は、ふさいでも完全に刺激を遮断できない。聴こえてしまう。それに、音は振動。皮膚でも振動を感じているので感じてしまう。
私の耳はとても敏感。自分の呼吸音もうるさいときがある。東大の先生が言ってた。定型発達者も可聴閾外の音も脳には入力されているそう。脳波上は反応しているらしい。私達自閉症者は、その可聴域外の音を不快に感じるらしい。デジタル補聴器を使って、耳に入る音を可聴域に限定できるようにすると良いらしい。
参加者:飛行機に乗ったときは大丈夫だったのか?
蜜さん:
3歳のときは、頭の中がゴーって鳴っていた。怖くて、固まっていた。でも、何度も乗っているうち、死なないと言うことが分かって、大丈夫になった。私にとって、不快=危険ということ。見慣れればよいではない。何も起こらないというのが大事。
メジボフ先生の適応のための3条件は、①離席の自由があること。これは、音がうるさいなどの理由で、身体が動かなくなってしまうから。②発言を求められないこと。どうでもいいか、どうしても必要か、というように二分化している。中間がない。ほとんどの質問は中間に属することだから、尋ねられても関心のないテーマなので、よく分からない。だから、答えようがない。答えないでいると自己主張がないと、否定されてしまう。③は困ったとき発信すれば助けてもらえること。
高機能タイプにはもう一つ加えたい。それは、否定されないこと。例えば、似合わないね、ではなく、こういう服がいいよ、と言ってくれたほうがいい。ルールや解説は、子どもの言語レベルに合わせて話すことが大事。ロン・クラークの「あたりまえだけど、とても大切なこと」が面白い。ぜひ読んで欲しい。これを読んでおけば、もっと学校生活が楽しかったと思う。どうして今になって、この本と出会ったのだろうという悔しい気持ち。「どうして学校にドリトスを持ってきていけないのか」が良い。
「あなたはどうしてもらったら、楽になりますか?」は難しい。子どもに選択をさせる前に、どんな選択肢があるのか先に示して欲しい。私達は、自分の意図や気持ちを表出するのがとても苦手。でも表出する方法をたくさん持つのは大事。
表情は、小さいときから練習してきた。入学前、母親が化粧しているのを覗いていたら「化粧してみる?」と言われた。鏡に映る化粧した自分をまじまじと見つめていたら母親が「少しは、笑ってみたら」と促された。振り返って母親の表情を見たら笑っていた。母親と鏡に映る自分の表情を見比べながら、笑顔を作ってみた。人の顔の動きというのは、表情筋なんだ!と思った。それから、練習している。普通のアスペルガーよりは表情が豊かだと言われる。