第3回 蜜さん講義(平成23年10月18日) 前半
蜜さん:
よろしくお願い致します。前回に話した“手をつかない”っていう話をまとめました。
蜜さん:
手をつかないっていう話の補足です。車に乗っているとき、両親が何回も急ブレーキを踏んで、私が手をつけるのかどうかっていう練習をさせられたんですけど、急ブレーキですら、手をついたり、つかなかったりして。「どうしてそれができるようにならないのか、人間の反射反応だろう」ということで、両親はすごく不思議に思ったとのことです。
手をつけないっていうことがいかに問題かというのを、29歳の冬に再び経験することになります。29歳の冬に、大量の荷物を持っているときに転んだんです。そのとき、卵を持っていたんですね。「あっ、卵が割れる」って思って、卵は守ったんだけど、雪道のつるつるのところに顔面を強打してしまって。なんかポタポタって…なんか生温かいものがこう・・・。でも冬だったんで、この辺は(顔全体を指して)冷たくて麻痺していたんで、「顔がない」と思って。痛みに鈍磨なので痛くはなかったんですけど、痺れ具合がいつもとなんか違うぞと思って。触ったけど痺れているから「やっぱり顔がない」と思って。「顔がないのは、ちょっと変だよな」と思いながら、視線を手袋に移すと、真っ赤になってて。「ギャー、手袋が真っ赤になっている」と思って。かばんからティッシュを出して「このティッシュが真っ赤になったら、鼻も頭も出血してるってことだから、病院に連絡したほうがいいのかな」なんて冷静に考えながら、しばらくそこにうずくまってたんですけど。その後、携帯で119番通報しようと思って、ボタンを押そうとしたんだけど、血でぬるぬるしちゃって。ひとりでもじもじしているところを、除雪してたおじさんが近づいてきてくれて。そのおじさん、その辺一帯が血に染まってるのを見て驚いてた。「ヒャー」みたいな感じで。そして、私が携帯に向かって「ここは北21条なのか、それとも19条なのかどこらへんなのかはっきりわかりません」とか言ってると、おじさんが携帯を私から取り上げて「いまどこそこで…女の子がなんとかでかんとかで…」って代わりに通報してくれて。そして救急車で運ばれました。
齊藤:救急車?
蜜さん:
そうです。頭部出血なんで。普通の人ならこんなことはないんですね。病院のお医者さんに何回も何回も確かめられました。「他人に殴られたわけじゃないんだよね?誰かをかばってるわけじゃないんだよね?」って。何回も質問されたんで「うるさいなあ、この医者は」って思いました。私は「転んだだけなのに。血が止まればいいだけなのに」と思って腹が立ったんですけど。おそらく、お医者さんは「荷物は無事なのに私の顔面だけがケガをしている」っていうのが不思議だったらしくて。卵はもちろん割れずに無事だったんですよ。両手で保護しましたから(笑)。
カモミールのみんなですら「こんなことはまずない」って言う。雪道で滑ったら、普通は卵が犠牲になって自分は犠牲にならないっていうのが通常の反射的反応だろうっていうことで。自分ではなく、卵を救ってしまったという面白い人間というか、何かが欠落してるっていう話でした。
蜜さん:
私は「周りを良く見なさい」とか「人のことも考えなさい」ってよく言われてたんですね。お母さんは、私が周りの人に対して注意を向けていないことが多いと感じてたからです。お母さんは仕事をしていたので、ほかの人にわがまま言って迷惑かけないように、それから職場に連れて行ったときに邪魔にならないようにと「気を遣いなさい、あんたはおまけなんだから」って。これ、別の場所でも良いルールになるんですね。小学校入った頃から、このルールはすごく役に立ちました。周りの人がどうしてるのか、よく見て真似することっていうのはすごく大事なことだったんです。小さい頃は観察するだけで終わっていたのが、小学校に入る頃から真似ができるようになりました。このルールは便利だったし、すごく助かりました。
蜜さん:
ドラえもんのことでキレた話です。お母さんは、私のことを賢い子だなって思ってたらしいんですけど、一方で頭の切り替えがへたくそなんで、だいぶ長い間、お母さん怒り続けてたみたいです、いくら謝ってもダメ。私にはしょっちゅうこういうことがありました。
千葉の祖父母には「屁理屈こねる子だ」って言われていた記憶があります。祖父母の家に遊びに行って、お母さんが冗談で「障子の紙に、つばつけた指で、ピッて穴あけたら面白いよ」って言ったんです。普通は、障子の張替えの時期するもので、張り替えて新しくなったらそれはしてはいけないんですね。私が祖父母の家に行ったときは、張り替えた直後だったんです。でも、私には障子を張り替えた後だとか前だとかっていう情報がなかったので、穴開けて遊んでました。当然、祖父母に叱られる。そのとき私は、「(お母さんに)面白いって言われたからやったんだ」って言ったら、「そういう屁理屈ばっかりこねて」って祖父母に叱られました。そんな理由でしょっちゅう怒られてましたね。
蜜さん:
お母さんは、職場に私を連れて行くことが多かったので、子ども言葉で教えませんでした。私は小さい頃に覚えた言葉にこだわりがあって、例えば「スパゲッティ」のことがまだ言えなかった頃、「パピッピ」って言ってました。お母さんが「スパゲッティ?」って聞き返すと、私は「パピッピ」って言い直してたりしてました。「マクドナルド」は「マクマルド」、「かかと」を「かとと」、「バナナ」を「ババナ」と言ってました。言葉に執着というかこだわりがあって、間違った言葉を執着を持って覚えてる変わった子だなと思われていました。でも面白いし、子どもだから放っておこうという感じでゆるい環境で育ったらしいです。まあそのうちちゃんとした言葉を覚えて、通じるようになったみたいですけど。
覚えた言葉遣いは、すごい丁寧でした。うちの両親は自分で何でもできるようにというのを念頭においてたので、デパートにご飯を食べに行ったときなど「お水が欲しかったら自分で言いなさい」って言われてた。「そういうときには『お冷をください』って言うんだよ」って言われてたので、すごく小さい私が「お冷をください」って言うんですね。電話出るときも…
おっ、大変。携帯電話の音を切るのを忘れていて、びっくりしました。で、電話…。電話、電話は違う…えっと…。
齊藤:ゆっくりでいいよ。
蜜さん:
いえ、電話なんです。電話の話なんですけど、電話の話と電話の話が混ざっちゃってちょっと混乱しました。えっと、電話が…。うちの両親、事業を立ち上げて会社からの電話を自宅で受けるようになりました。まだ幼児の私は、「ただいま父と母は外出しておりますが何か言伝はございますでしょうか?」みたいな感じで答えてました。「どちらさまでしょうか?」なども言ってました。
参加者:すごーい。
蜜さん:
両親は、そういうことを紙に書いて私にインストールしたんです。私はそれをきっちり覚えて言ってたんで、すごくできた子だと思われてました。5歳とか6歳の頃、保育園に通う頃には、紙を見なくても言えるようになって。文字を覚えて読めるようになったから、そんな感じだったんですね。でも、小学校行ってからは、そのギャップが大変なことになるんですけど。
子どもだからこそきちんとした言葉遣いができないと、大人は相手にしてくれない。子どもだから大人に助けてもらうことが必要なことがたくさんあるのだけれど、子どもが「やだー」とか「こわーい」とか「あんた、だれ?」とか言ってたら相手にしてもらえない。きちんとした表現をというのがうちのお母さんのポリシーだったらしくて。教えられた言葉をかっちり話していました。
おかげで小学校に通うようになるまで方言を知らなかったので、すごいズレがありました。うちのお母さんは東京方面から来た人なのでほとんど方言がないんですけど、(札幌の)学校に行ったら、クラスメートに「バクる」とか言われた。私は「バクる」の意味がわからないから、しばらく黙ってたんです。そういう場合、沈黙って同意と受け取られるんですね。黙ってるだけなのに、了解したっていうことにされてしまうんです。黙ってたら、勝手に自分の大事なものを持っていかれちゃって。代わりに、どうでもいいような、私にとってはいらないものを押し付けられて。一体、何が起きたんだと思ってパニくって泣きました。
齊藤:当時、「バクる」は使わなかった?
蜜さん:
はい。「バクる」は使いませんでした。小学校入ったときには意味が分かりませんでしたね。「ゴミ投げる」はさすがにわかってました。近所の人が言うんで。「ゴミ投げる」は聞いたことあるけど、「バクる」は聞いたことがなかったんですね。「じょっぴんかる」も大人になってから知りました。「じょっぴんかるってなに?」って聞いたら、「それはね」って説明されました。「田舎の人が使うんだよ、鍵をかけることだよ」って。
話は少し変わりますが、私は、雪祭りは、2月じゃなくて12月にあると思い込んでたような人間なので、一回誤学習しちゃうとなかなか修正が難しいんです。私はホワイトイルミネーションが始まってから、長い期間やってるのが雪祭りだと思ってたんですよね。なんかこう、雪が降ってつらいのもみんなで乗り越えようねっていう、そんなお祭りだと思ってたんです。すごい誤解でした。
齊藤:蜜さんの雪祭りは、雪のある間、ずっとやってることになってたんだ。
蜜さん:
はい。大きな勘違いでした。私にとっての雪祭りの終わりは、雪像を取り壊して立ち入り禁止になるときです。あれが雪祭りの終了だと思ってたんです。ホワイトイルミネーションでキラキラし始めた頃から始まって、「今年も雪祭りのシーズンなんだ、これからなんだ」みたいな感じで盛り上がって、雪像とかできて「オー、今年もこんなに雪が降ったんだ。それをみんなで喜んでるんだ」と思って。取り壊しになって、「終わったんだな」みたいな。高校3年生まで思い込んでた。高校3年生のときに雪祭りの話を友達にしたときに「お前は雪祭りを何だと思ってんだ」って言われて。そのとき初めて雪祭りの意味を知りました。
言葉のことに戻るんですけど、自分の中のあいまいな意思を誰かと確認したり、共有するということにあまり関心がなかったので、他の人が使っている言葉を自然に学習するっていうことが、あまりなかったみたいです。お母さんに「こういう風に言ったら」とか「こういう表現を用いたら」とか「ほかに言い方があるでしょ。こういう言い方はどう?」って言われて、初めてそれをインストールしてた。
テレビの画面って狭いじゃないですか。あれくらいの情報だったら、自分の中に入ってきやすいんですけど。それでも、画面の全体を見るっていうのは、あんまり得意ではなくて、一部分とかを見て、そのキャラクターがしゃべってる時だけインプットしたりとかして。他のキャラクターがしゃべってるのは、なんとなく分かっているんだけど、ふわふわしていて。よくよく見てみたら「ああ、もうひとりキャラクターがいたのね」みたいな感じで、あとから気付くんです。でもそのキャラクターを見た瞬間に「あっ、消えた」みたいな。「結局、どういうことだったんだろう」って、テレビの見方がわかんなかったりして。まあそんな感じで言葉を覚えるっていうのは周りに関心がないとなかなか難しいんだなっていう印象が私の中にあります。
相手が私にタイミングを合わせながら聞いてくれるっていうことがない限り、誰かと会話するというのは難しかったと思っています。誰かと会話できないと、言葉って育ちにくいのかなって思います。言葉は、誰かと意思の疎通を交わしたいと思ったり、表現したいと思ったときに使う道具なのであって、そうじゃない限りなかなか必要性を感じにくいと思います。私のお母さんはプリインストールを一生懸命してくれたので覚えることができました。
蜜さん:
「あなたはどうしたいの?」って、お母さんにはしょっちゅう尋ねられました。自分の中の意思を確認をされることがすごく多かったです。でも私は、自分の中の意思に気付くまでがとても遅いので、「あなたはどうしたいの?」っていう質問はすごく難しかったです。自分のことなのにどうでもいいこと思うことがすごく多いんです。でも反対に、これじゃなきゃダメっていうのもあって。“8対2”くらいで、“2割”がこれじゃなきゃダメっていうもの。残りの“8割”はどうでもいいというか、よくわからないというものですね。自分じゃ判断がつかないというか。それはいったいどういうこと、どういうもの、どういう風にしたらいいのかってことが、皆目見当がつかないことが多かった。でも「あなたはどうしたいの?」って聞かれるから「答えを出さなきゃいけないのかな」とか悩んだりしていました。でも、どれが自分にしっくりくるのかわかんないから、すごく不安で…。やってみたとしても、しっくりこないとそれはそれで落ち着かなくて。自分の中の地雷みたいな感じになっちゃって。すごく困った問題でした。これは仲間同士の造語なんですが、しっくりこないって意味で「しっくりビンボー」って言葉を使ったりして遊んだりしてます。「私、今、しっくりビンボーだわ」とか言ってます。
蜜さん:
そんなしっくりビンボーな私に、親がしたことは「どう考えているのか、なにをしたいのか」っていう意思表示を求めることでした。このようなスパルタ的な要求は、私の自己表現の多様さにつながっていって、こうやってみなさんにお話できるようになっているんだなっていうのを、今は痛感しています。
ただうちの親は「どうしたいの?」って尋ねるだけじゃなくて。例えば、私が困ってるとしますよね。すると「答えがないのかな」それとも「すぐに思い浮かばないのかな」っていうところまで推論してくれる両親でした。答えを見つけられないで、私が悩んでると選択肢を与えてくれたんです。「バナナがいいの、りんごがいいの、どっちが食べたい?」っていう風に。「それともナシがいいのかい?」とか言われて。あまり選択肢が多いと悩みすぎて選べないんですけど、2択か3択くらいならありかなと思います。私としては、2択が一番助かるんですけどね。なぜかというと、じゃんけんして勝ったか負けたかで決めれるから。私、買うか買わないかで迷ったときに、お母さんとじゃんけんするんです。「お母さんが勝ったら買う、私が勝ったら買わない、最初はグー、じゃんけんポン」みたいに。自分で決められないっていうことがよくあります。アバウトなものっていうのはすごく難しい。いるのかいらないのかがわからないものの場合なども。だから、じゃんけんで決めたものについてはあとで後悔しないようにと思っています。
齊藤:
それは、買うために必要な決定的な根拠が見つけられないからってこと?
蜜さん:そうです、そうです。
齊藤:暫定的にじゃんけんの結果を根拠にするわけだね。
蜜さん:
そう、根拠として。じゃんけんで負けたから買わなかった。はい、終わり。みたいな。
齊藤:なるほど。
蜜さん:
でも、小さい頃はじゃんけんなんて思いつかなかったので、両親の示してくれる具体例というのはすごく助かったんです。こういう道もあるし、ああいう道もあるし、こういうやり方もあるし、ああいうやり方もあるよ、みたいなのをいくつか示してくれて。その中で「私はこれがいいと思う」っていうのを選ぶ。「あんたが選ぶのは自由よ」という空気の中で育ったのは、すごくよかったかなと思います。なんでそうなったかというとうちのお母さんは「黙って親の言うことを聞けばよい」という教育が嫌いだったからだそうです。だから、私の意見を聞いたと言っていました。
でも、そこまでだとすごく困るんです、自閉的には。前にお話したとおり、先生がおっしゃっていたとおり、私には「手札がない」状態なので。手札がないのに「どうしたいの?」って言われても、「何がいいんだろう」っていう状態なので。でも「イチゴのカードとりんごのカードとバナナのカードとあるけどどれがいいの?」っていう感じで言われると「じゃあイチゴかな」って選べる。そういう意味では、親の提示してくれる選択肢は論理的で助かりました。というのは、これを選ぶと、どんなマイナス点があるということも話してくれたから。例えば、危険性について。うちの両親は「あなたは自由にどこにでも行けるけれど、外に行って道を聞く人はお店にいる人かおまわりさんか駅の人にしなさい」ってよく言われてました。「そうじゃない人たちはあなたを車にボンッと押し込んでそのまま香港マカオ一生の旅っていって、内臓バラバラにされて…」。
齊藤:怖!それ都市伝説じゃん(笑)。
蜜さん:
「売られる」みたいな話とか、それから「ドナドナのように、女の子が男の人に買われる」とか、「そういう怖いことがいっぱい起こるから、今いる場所から動けない人に地図を見せてもらって、ここをこう行けばいいっていう風に教わりなさい」みたいな。そういう風に、根拠を示してもらっていたので、「あーなるほど」と思いながら生きてここまで来ることができたと思います。選ぶことっていうのは根拠がないとなかなか難しい。でも、自分で選べたときにすごく達成感があるので本当は選べた方がいいです。
蜜さん:
ほめられて育つ効果についてです。みんなポジティブシンキングみたいに捉えているんですけど、ポジティブシンキングの前にネガティブシンキングにならないっていうことのほうが、すごい大事なのかなと思います。ポジティブまで行かなくてよいと思うんです。ネガティブシンキングにならないことが大事なのかなと。良いことをしたときとか、ちゃんとできてるときに「いいんじゃない」とか、「できてるよ」とか言われると「あっ、これをしてるといいんだ」っていう基準が分かって、すごい安心できました。お母さんはあんまり私をほめることを意識してなかったそうです。お母さんにほめられたりとか、オーバーアクションな感情表現の中で育てられなかったです。「愛してるよ」とか言葉にすることはたまにあったんですけど。「すごいいい子ね」とか自分の子をあまり過大評価するのも恥ずかしいみたいでした。
その代わりに「やる気をそがない、否定しない」ということをがんばったそうです。しょっちゅう聞いてたのが「はじめはみんなへたくそ。いっぱいやれば何でもできるようになる。好きだったら何回でもやりなさい、だれになにを言われても好きだったらやりなさい」ということ。おかげで、絵を描くのもだいぶ上手になったかなと思います。売れるほどの絵は描けませんけれども。「何かを描いたのかな?」くらいは伝わるような絵が描けるようになったかと思います。お母さんは私に「ほめたつもりはない」って言うんですけど、私はそれなりにほめられていたなと感じてはいました。というのは、正当な自己評価の基準をさりげなく教えられていたんだと思います。良いところと悪いところっていうのをちゃんと示してもらって、悪いところっていうよりも、まあまあできてるときに「いいんじゃない」って言われるのはすごく大事かなと思います。「すごいね!」とか持ち上げる必要はないんだけど、「オッケー♪」みたいなのは、うれしいというか。「ああ、そうなんだな」と思います。
いつも大変興味深いお話し、ありがとうございます。
今回は、とっさの危険回避の際に手が出ないというのが、生活する上でのいろいろな危険に結びついているということがよくわかりました。
ところで、倒れそうになったとき、とっさに手を出すという動作は、正確には、「反射」ではなく「反応」で、生後半年位から出始める動きの一つです。
特に「手を出して顔などを守る」反応を「保護進展反応」と言います。脳性麻痺などの運動障害がある場合に、この反応がうまく出せない(運動機能の不全)ことがあります。特に運動の障害がない蜜さん場合も、この機能がうまく働いていないことが伺われます。
この保護伸展反応は、最初座った状態で、バランスを崩したときに手が出るというような「上肢の保護伸展反応:(左右、前方、その後、後方)」、立位が出来るようになり、前に倒れそうになると足がでる「下肢の保護進展反応」等があります。下肢の保護伸展反応が連続して起こると歩行が形成されるというように解釈出来るかもしれません。
また、体が急に傾いたときに、とっさに頭部を水平に保とうとする体幹の立ち直り反応と連動して起こります。
このような保護伸展反応が出現しない要因として、何らかの先天的な機能不全があることも考えられますが、たとえば、乳幼児期に多様な動き(協応動作)を経験しないと、その反応の出現が弱かったり、あるいは出ないままになってしまったりする場合があるようです。
もしかすると、幼児期から「新しい場所や動き」を好まず、一定(ある意味安定的な)の身体活動を続けてしまうような場合、元々の反応の弱さとの相乗作用で、「手が出ない状態」のまま、大きくなってしまうということがおこるのかもしれません。
ちなみに、この反応は、前庭系と呼ばれる重力を関知する器官への刺激(視覚刺激も加わる)により引き起こされます。通常は、はじめは比較的ゆっくり体のバランスを崩し、少しずつ反応が引き出されるのを待って、徐々に反応を強めていき、強く早い刺激(転ぶなど)にも対応する力を身につけていくようにします。
赤ちゃんが座った状態で、倒れそうになったときに、最初は養育者などが体を支えてあげていたのが、だんだん「起き上がりこぶし」のように「おっとっと」と自分で倒れないようにしたり、手を出したりするようになるのがそれです。
その意味で、自動車のブレーキに対応する訓練は、反応を引き出して育てようという視点は、とても良かったと思うのですが、ちょっと刺激が強すぎて、うまく引き出すことが出来なかったのかもしれませんね。