005 学校キライ(4)
005 学校キライ(4)
雨野カエラ
学校嫌いはひどくなって、高校は途中でやめた。学校のルールがばかばかしくなったんだ。暑くてもカッターシャツの袖はまくってはいけないなんて、そんなこと、大人を相手に言うことはないだろう?それくらいのことでどうして怒鳴ったり,呼び出したりするんだろう。
今日なにか起ったらもう学校には二度と来ないと決めて登校した日、全校集会で校長先生が言った。
「やめたいやつはやめてしまえ」
僕は集会が終ってすぐ学校を出た。「造反有利」とか黒板に書こうかと思ったけど、意味を分かる先生も同級生もいなさそうだったのでやめた。
遅刻なし、欠席もほとんどなし。成績もまあまあ。そんな生徒が学校を辞めるのは開校以来だと言われた。喜んでいいのかな。
そこから数年間を映画とビデオをみながら家で過ごした。今なら引きこもりって言われるね。
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齊藤コメント
「造反有利」とは、文化大革命の時の毛沢東の言葉です。紅衛兵のスローガンとなりました。「体制に謀反を起こすには、道理がある」との意味があります。退学を決意した雨野さんが、この言葉に託したかったものは、文字通り「退学する自分には、理由があるのだ」ということだったと思います。
しかし雨野さんは、黒板にこの言葉を書くのをやめてしまいます。自分の気持ちを表現する最後の機会を自ら絶ってしまいました。他者に気持ちを伝えてみることが、他者を動かすための第一歩になるのですが、すでに時機は過ぎていたのでしょう。「自分の気持ちは,到底理解してもらえないだろう」と、あきらめの気持ちだったのだと思います。
「やめたいやつはやめてしまえ」の号令は、雨野さんには「もうこれ以上、がんばらなくてよい」という天からの声に聞こえたのではないでしょうか。
「学校キライ」を読み終えた後、何かが足りないと感じました。何度か読み返しているうちに気付きました。それは、「他者に頼る」もしくは「援助を求める」というエピソードがどこにも出てこないということです。どのエピソードも、頼ってみたけれど失敗した、援助を求めたけれど断られた、のではないのです。前提となる対話が開始されていないのです。すべては、雨野少年の心の中で生じ、そして過ぎ去っていっただけです。彼の心的世界には、語り合う「他者」が含まれていないのです。
もう少し他者に頼れば、解決する問題もあったかもしれません。また周囲の人たちも(特に大人は)、他者への頼り方を具体的な場面に即して身をもって示し、導く必要があったのかもしれません。
社会の中で生きていくのに大切なスキルとは何でしょうか?いろんな候補が挙げられると思いますが、雨野少年においては「他者に頼るスキル」こそ、真っ先に身に着ける必要のあったスキルだったのではないかと私は考えます。勉強が出来る、挨拶ができる、忘れ物をしない、友達に迷惑をかけない。雨野少年はいずれも、きちんとできていたと思います。そのため周囲の大人達は、むしろ安心していたのではないでしょうか。「自立した子だ」と。でもそこには落とし穴がありました。
子どもの育ちを眺める視点は色々とありますが「あなたはちゃんと人に頼っているかい?困ったと言えてる?」と尋ねる大人は案外少ないと思います。自立という目標が掲げられる環境では特に。“自立=自分で考え、行動すること”が目標となり、そのような振る舞いができるようになることが成長の証だとみんなが思うようになると、他者に頼ることは“甘え”に、困ったと訴えることは“努力が足りない”というふうに読み換えられてしまうことがあります。
でも自立とは、そのような意味ばかりではないのではないかと思います。雨野少年にとっての自立とは、他者に上手に頼ることができること。そして他者から頼られたとき、その期待にこたえられることにあったのではないかと思います。雨野少年は、常に自分ひとりで考え、そして行動してきました。まさに文字通り「自立」していたわけです。
しかし、どのような子どもも、経験は未熟です。思考もまだ自律的ではありません。だからこそ、他者に頼りながら育っていくものだと思います。他者を自己の鏡として。個として試行錯誤することは、非常に効率の低い学習をしている状況であると言えます。私は、自立とは、他者に頼ってきた歴史を背景にして、自己が少しずつ確立された結果であると考えるようになりました。
雨野さんは、発達障害を次のように定義するのがよいのではないかと考えていました(言葉は正確ではありません。メモを紛失したのです。雨野さんが言わんとするところを私が文章化してみました)。
「外部に自分を発信し、フィードバックを受けながら成長することを発達というならば、発達障害とは、個人及び環境要因により、フィードバックを受信できないために発達が阻まれている状態を指すのではないか」
なんとわかりやすい定義でしょう。雨野さんは「自分の言葉が他者に通じない」ということをよく言っていました。会話の相手は「大丈夫、ちゃんと通じているよ」と言ってくれるそうですが、返ってくる言葉は、いつもポイントがずれているのだそうです。雨野さんは「手ごたえがない」と言います。手ごたえがない環境は、負の報酬ばかりが返ってくる環境よりも、もしかしたらつらい状況なのではないかと思います。自分を表現しても「応答がない」環境は、表現することそのものを無意味化するからです。自分の内部に生じたものを、無意味であると感じさせられることほど、人として空しいことがあるでしょうか?
話は少しそれますが、私が大学生の頃、ある医療機関で行われていた自閉症の療育に、実習生として参加したことがありました。視線の合わない自閉症の子どもとの遊びに悪戦苦闘している私に、セラピストの方がくれたアドバイスは今でも心に残っています。
「自閉症の子どもの要求を増やしたかったら、子どもの期待通りに大人が反応してあげること。自分の身振りや言葉が他者を動かしていると感じることが大切なんです。世界を動かしているのは自分なんだ、と思えるようにあなたは振舞いなさい。まずあなたは、子どもの道具でいいのです。ただし、おもちゃよりも確かな反応を返す道具になりましょう。あなたの遊び方は、おもちゃに劣っているのですよ。タイミングや方法が微妙に変化しているからです。きっと扱いにくい道具と思われているのだと思います。繰り返し、子どもが望む反応を返すことによって、子どもの信頼を得ることを目指しましょう」
雨野さんの発達障害の定義と同じ意味のことがここでは語られています。確かな反応、確かな手ごたえ。世界を動かしている有能感。これらが子どもの中でしっかりと根付かない限りは、子どもは外部に向けて何かを発信しようとしないでしょう。以後心得て、信頼できる道具になりきるよう努力しました。すると、その子どもの反応が少しずつ変わってきました。おもちゃよりもまず先に“使って”もらえるようになったのでした。
人は他者を通してしか自己を理解することはできません。対話は、発達に必要不可欠な行為です。雨野さんが私との対話を望んだ理由は以下のようでした。
「僕は、生まれてこのかたずっと、アスペルガー症候群だったわけです。だから定型発達というものを知りません。これから僕が生きていく上で、自分を説明しなければならない場面が出てくると思います。しかし、定型発達というものを知らない自分は、どこが共通していてどこが異なるのか、区別がつかないのです。僕の自己紹介は二つのパタンがあります。生まれてからのことをすべて話すのがひとつのやりかた。でもこれはものすごく時間がかかるので、最後まで聞いてくれる人はいません。どのエピソードを選べばよいのか分からないので、結局僕は何も話さないことを選ぶのです。齊藤先生には、僕の考えを伝えます。その考えに対して何を思ったのか、また齊藤先生自身はどのように考えるのかを教えてください。その対話を通じて僕は、自分にしかない特徴というものを推測していきたいのです」
このように雨野さんが援助を求め、他者に自分の考えを伝えるようになったのは、30歳を過ぎてからです。高校を退学してから十数年後のことでした。