雨野カエラの部屋(毎週月曜に更新!)

023   「021かんしゃくの構造」のコメントの続き(2)

023   「021かんしゃくの構造」のコメントの続き(2)


齊藤コメント


 原初的な感情は「快-不快」です。心地よいか、心地よくないかの二側面しかありません。一方、世界は複雑です。ゆえに、複雑な世界に住む人間の経験もまた複雑なはずです。しかしその複雑な経験を「快-不快」の二つの水準でしか捉えられないとしたら、大変不便な生活になるだろうな、と思います。世の中、白か黒しかないモノトーンな世界になってしまうからです。


 かんしゃくとは、自分の経験を二分化することしかできないことによるものなのではないかと思います。快と不快の連続線上には、本当はたくさんの目盛りを刻むことができるはずです。多様な感情を経験することは、人格内にかえって矛盾を生み、分裂を引き起こすように思えますが、そうではないと思います。

  
 複雑な経験を複雑なままに経験するには、それに対応する感情も肌理の細かいものである必要があると思います。感情が肌理細やかに分かれていると、経験の意味づけも細かくなっていくのだと思います。このように感情の発達とは、新しいカテゴリーの感情を獲得するというよりは、獲得している感情を社会的状況に合わせて細かく区分することなのではないかと私は考えています。


 私の長男が2歳の時の話です。夕方、眠たくなるとギャーギャーとわめき散らすことがありました。たくさん遊んで身体的な疲労があった日は、もっとひどくなりました。物を投げたり、母親を叩いたりとまるで八つ当たりです。そのたびに叱られるので、暴れ具合はいよいよ激しくなるのでした。


 ある日うちの妻は、叱るのではなく、暴れて泣いている長男に近づき「ソラ(長男の名前です)、あのね、ソラはね、今、眠たいんだよ。眠たいときは寝なさい」とだけ言って、後はしっかり抱っこしました。しかし、そのときはおさまりませんでした。その後、何度も同じことが繰り返されました。半年くらいたったころ、「今、眠たいんだよ」と声をかけると、自分で寝室に行き布団に横になり眠ったことがありました。その後も、多少の紆余曲折はありましたが、最終的には声かけだけで眠りに行くようになりました。本人は繰り返す中で、「暴れたくなる感覚」が「疲れの感覚」であることを認識し、「疲れの感覚」は眠ると解消されることを知っていったのだと思います。このように2歳代では、生理的な不均衡を丁寧に意識させ、それを解決する方法を伝えることがポイントでした。


 次は3歳の時の話です。妹のモモが生まれました。妻は、乳児の世話や家事でいつも手が一杯でした。それまで、親の愛情を一身に受けていたソラは、急に一人きりになり、放りだされた気分になったのでしょう。再び、怪しい行動が出てきました。部屋の中を、折の中に入れられた動物のようにウロウロと歩き回ったり、かんしゃくを起こすことが増えてきました。要するに、赤ちゃん返りです。親から見ると、さびしいのが原因なのは一目瞭然なのですが、本人は勿論気付いていません。


 妻は、家事の手を止めてソラに近づき「ソラは今、さびしいんだよ。さびしいときはさびしいって言わないと分からないよ」と言って、抱っこしました。やっぱり、一度で分かるわけがありません。毎日々々同じことを繰り返しました。3ヶ月たったある日のことでした。モモは、居間のソファーでじいちゃんに抱かれていました。妻は台所で夕食の準備です。ママはモモを抱っこしているわけでないので、アプローチしやすいと思ったのでしょうか、その隙をついてソラはおもむろに妻に近づいていき「ママ、さびしい」と小声で伝えました。居間で聞き耳を立てていた家族は、それを聞いて拍手喝采。妻は「ちゃんと言えたんでしょー」とソラをきつく抱っこしました。ソラもエヘヘと笑っていました。(振り返りますと、そのときのソラは、いつものようにかんしゃくを起こすほど不安定ではなく、ウロウロはしていましたが、少し余裕があるようでした。新しい行動を獲得するときはいつもそうですが、子どもにある程度余裕がないと新しい行動は誘発されません。追い詰めて、子どもの気持ちをギリギリの状態にしてしまうと、子どもは怖くて新しい行動を試そうとしないのです)。このように3歳のときには2歳のときと違い、生理的不均衡よりは、心理的不均衡についての会話が多くなりました。

 子育てをしていると、子どもの持つモヤモヤした気持ちに遭遇します。「わからない」と親が子どもに怒りをぶつけていては子どもは心を閉ざすばかりです。また子どもの不安に巻き込まれて一緒に心を揺らしてしまっては子どもは迷うばかりです。


 ただ、親も万能ではありませんから、子どもの気持ちをすぐに汲み取ることができないときも多々あります。そんな時、どうするか?親だからと完璧を求めずに正直になって、子どもと一緒に考えるのが良いのだと思います。ソラが落ち着いた頃に、妻は抱っこを続けながら、、色々と会話をしていました。こんな気持ちだったの?あんな気持ちだったの?という風に。蜜さんが言っていた大人に選択肢を示して欲しいという願いは、普通の子育ての中で行われる行為なのです。


 感情の肌理を細かくする上で、他者のラベリングの影響はとても大きいのだと思います。感情の肌理を細かくすることは、社会的な適応能力を高めることであります。子どもの感情を大人が丁寧に掬い取り、丁寧な言葉で返してあげることが、感情を発達させる上で重要な契機となるのです。


 雨野さんの起こすかんしゃくは決して、病気だからなのではありません。雨野さんには、かんしゃくを起こしてしまうということを、その理由も含めてありのまま語れる他者にめぐり合えなかっただけなのではないかと私は考えます。他者の言葉を頼りに、自己の内的な世界を研究する過程の中で、徐々に感情というのは練り上げられていくのだと思います。