033 テクニカル
雨野カエラ
自閉症者の支援は、気持ちだけではどうにもならない。本人を支えようとするポジティブな気持ちは勿論必要なのだけれど、支援の技術なしに関わろうとする人がなんと多いことか。理解するということと思いやりをもって接することは同義ではない。「ロマンティックな自閉症」が好きな人たちにはウケがよくないのかもしれないけど、支援の「テクニック」「技術」がとってもとっても重要なのだ。
社会性の障害があるということと「誰でも社会では苦労するさ」というような事柄は、同じように語られるべきではない。支援者はよく考えなければならない。本人もまたそれを混同しないようできる限り考えなければならない。
他者の意図がわからないということは思いやりを持てないという意味ではない。思いやりを持っていても、意図を読み違えて相手に迷惑をかけることがあるもしれない。本人は、そこに注意がいるだろう。一方、支援者は本人が多くの場合、意図の分からない大勢の人たちに囲まれて過ごしている状態にあることを忘れてはならない。
それが頑固であるとかこだわりであるとかいった単なる指摘は(理解がその程度では)本人にとっては拷問にしかならない。
齊藤コメント
雨野さんと知り合った頃、メールでやり取りしていました。抽象的な議論をしていましたから、口頭で話し合うだけではイメージの共有が難しいと互いに判断したためです。
文章ならば、言葉をじっくり練ることができます。
私は、できる限り丁寧に文章を組み立てることに注意を払っていましたが、ある日、時間がなかったので校正もろくにせずに送信してしまったことがありました。いつもならすぐに返信があるのですが、なかなか返ってきません。2週間ほどすぎても返信がなかったので、こちらからメールをしました。
するとすぐに返信がありました。メールには、返信できなかった理由が書いてありました。私の文章に意味の繫がらない箇所があって、何度も読み返していたのだそうです。
指摘された文章を再度読んでみると、なるほど繫がっていません。文章の流れは保たれているものの、一つ一つの文章がきっちりと論理的に編まれているわけではないので、局部的にみると非論理的に感じられるのでした。雨野さんは、そこに引っかかったのです。
私は、曖昧な文章を書いて送ったことをまず謝りました。その上で、「わからないと思ったらすぐに連絡してくれれば良かったのに」と書き送りました。すると「齊藤先生が、意味の通らない文章を書くとは思っていなかったのです。先生の文章は正しいと思っていたので、理解できないのは自分のせいだと思っていました」と返事がありました。雨野さんの言葉への態度は、とても精密なのだなと感じました。
数日後、非論理的な文章が苦手な理由について「一貫性のない文章」という題されたメールで解説してくれました。
文章に[真 T(true)]と[偽 or あいまい F(false)]が混在した時に、(僕の頭は)フリーズするか整合性のとれない部分を消去するようです。順番に文章を読んでいって、
ここでフリーズ
↓
…T T T T T T F t t t t t t t …
↑
ここから新規(F以前は消去)
ラージ「T」が連続しているのは、論理的に整合的であることを示しています。しかし、そこに「F」という曖昧な表現が混入します。すると、ラージ「T」と「F」が、矛盾しますので処理が中断してしまいます。つまり、フリーズが生じます。でも立ち止まってばかりはいられません。これが、相手の話であれば、どんどんと話題は進んでいきまので、処理を前進させなければなりません。「F」とスモール「t」は、やはり矛盾するのですが、かまわず処理を進めていきます。スモール「t」が連続してくると一安心です。論理的に繫がっていて意味が分かるからです。しかしながら、ラージ「T」および「F」の記憶は失われます。意味的、論理的に繋がらない文章は断片化し、記憶に残りにくいからでしょう。または断片化しているので、想起(検索)できないだけなのかもしれません。雨野さんは、論理的に曖昧な文章を読んだり聞いたりすると、いつも最後の文章しか頭に残っていないと言います。「ここからは新規」と記述されているのはそういう意味です。
このメールを受けて、文章の構成には、特別の配慮をすることにしました。何度も読み返しては、意味の繫がらないところはないかどうか入念にチェックしました。すると、論理的によく構成されたメールを送信すると、返信が早いことが分かりました。私の文章が変化したことによって、意思疎通がよりスムーズになったのです。雨野さんとコミュニケーションする、コツを学んだような気がしました。
余談ですが、「私は、せっかちでおっちょこちょいです。論理的ではない文章は、実は始終書いているのです。だから、次回から曖昧な文章に出会った時は、雨野さんの読解力がないからと判断せず、齊藤の文章力のなさと考えてもらえますか」とお願いしたところ、「今回のことで、よくわかりました。齊藤先生のメールに関しては基準を変更しました。曖昧な文章に出会っても、もう大丈夫です」と言ってくれました。それからは、僕の曖昧な文章にもよくつきあってくださり、雨野さんが思う解釈を返信してくれるようになりました。お互いを理解し、文章の書き方、読み取り方を修正した結果、コミュニケーションがよりスムーズになったのでした。