雨野カエラの部屋(毎週月曜に更新!)

018 私の取扱説明書①

018 私の取扱説明書①


雨野カエラ


 喫茶店で誰かと話をする時に大変さを感じますか?私は喫茶店に入ったとたん声を出す事もできなくなってしまうことがあります。目の前に座っている「あなた」のお話に集中できればいいのですが、

         照明             換気扇
 隣席の人の様子や声   タバコのにおい    窓の外、隣のビル
    ずっと向こうの席の人の身ぶり手ぶり   壁の絵
     ウェイトレスの動き          厨房の音と匂い
                床の模様      

などを見たり感じたりして、それをシャットアウトしながらあなたのお話にフォーカスを合わせる事が難しいことがあります。隣の人の声が大きかったらそれだけでめまいを感じるくらいの情報過多です。


 もし、うまく集中できたとしても、あなたは


        声のトーンを調節したり、表情を変えたり
        ゼスチャーを使ったり、髪の毛を触ったり
       珈琲を飲んだり、カップをカチャリと置いたり


 たくさんの情報を発信しています。それらには重要な意味があったり何の意味もなかったりするのでしょう。お話をうまく聞く事ができて、そこから文字にできる情報を抽出しても、そこには比喩や隠喩やいわずもがなの常識が含まれていて「文字どおり」ではありません。こうして多すぎる入力情報を処理している間に、話題は移り変わっていきます。


 私が何か言おうとする前には、文章や言い回しを推敲し、表情や身ぶりを考え、声の大きさと抑揚をコントロールし、隣席の人とウェイトレスの様子や位置を視野にいれて話しだします。しかし、話し出したときには本当に言いたかったことからはかけ離れています。不自然さを感じさせてしまうかもしれません。実のある話もできないまま店を出る時間になります。あまり喋らなかったのにぐったりと疲れています。


 たくさんの入力をカットする事は難しいので、その中にいても話を理解するために、わかりやすい話を少しずつしてください。目をつぶったり、目線をそらしたりするのは入力情報を減らして、あなたのお話に少しでも集中するためです。私が自然に話をするためにはありのままの自分を見せられること、意識的に自分をコントロールしなくてもいい状況が必要かもしれません。普段から自閉的でも許してもらえるといいなあ。その方がお互いのコミュニケーションが成功すると思う。
 
 こんなことで大変さや、疲労をかなり感じたりしています。


 ちなみに、隣の人の話しが自分に聞こえているということは、隣の人にも自分の声が聞こえているに違いないと私は思っています。


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齊藤コメント


 雨野さんが、私と対話を始めたのは、自分の特性を知るためでした。私を他者として対置することによって、自分の思考を相対化していったのです。


 記憶が定かではないのですが、議論を始めて1年くらいたった頃でしょうか、
雨野さんから以下のメールが届きました。


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・会話中に意識しているもの
  1:先生の話(文字にできる情報)
  2:表情
  3:身振り
  4:声色 
  5:前回の話
  6:今日のテーマ
  7:互いの関係
  8:壁の色
  9:空調
 10:本棚の本からの情報
 11:相手の立場に立つ
 12:人の気持ちを考える      など


 普通はいらない物を除き、重点を置く物を選び、ひとまとめの情報として判断する(個々の矛盾は無視される)。


 自分は個々の情報を個別に判定する。いらない情報について考えたり、数が多すぎて見落とす情報もある(全体の印象にはとらわれない)。


 ここまで書いてみて、普通の人は最初から一つの場面を10個に分けることがないのだと思いました。最初から情報が多すぎるのだから自閉症者には順序立てて整理された情報を渡すと理解しやすい。一つ一つの判断を間違うわけではないから。


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  どうやら、私との会話をきっかけにして、[自分の認知]を意識したようです。雨野さんは「齊藤先生は、壁の色や空調や本棚の本について話をしない。なぜだろう?聴こえたり、見えたりしているのだろうけれど、ただ話題としては触れないだけなのだろうか?」と疑問に思ったのだそうです。
 
 しかし何度も私と対話を重ねるうちに、一つの仮説が浮かび上がります。「会話に関係する以外のものは、齊藤先生には意識されていないのではないか?」という仮説が。自分が情報過多な世界に住んでいることを、自覚した瞬間です。


 雨野さんのメールには、12個の話題が書かれていますが、「など」がついていますので、細かいことを言えば、本当はまだまだあるのでしょう。進行中の会話とは関係のないたくさんの刺激、話題が、意識に氾濫していると想定すると、何気ない会話すら難しいのだ、という雨野さんの告白は十分了解できると思います。


 雨野さんは最初、私のことを「なんて頭の回転の速い人だろうと思った」そうです。なぜなら、齊藤もまた情報過多な世界に住んでいると思っていましたから、何を質問してもすぐに答えを返してくる私の計算能力に感心したのです。でも事実は違いますね。私の返答が雨野さんに比べて速かったのは、会話に関係するもの以外、意識に乗せていないからです。はじめから選択肢(情報のリソース)が絞り込まれていますから、そもそも計算が少なくて済むだけの話なのです。


 一方、雨野さんは、私よりもはるかに膨大な選択肢(情報リソース)の中から、必要な情報と不必要な情報を判断し分別しなければなりません。必要な情報が選別された後になってやっと、情報をつなぎ合わせ、意味を考えることができるのでうすが、ここまでくるには大変な時間がかかってしまいます。この作業を、会話中、切れ目なく行わなければならないとしたら、とても集中力を必要としますね。最後に書かれている「分かりやすい話を少しずつ」というのは、本当に切実な願いなのだと思います。


 雨野さんに話しかけるときの私のイメージを紹介します。雨野さんをほぼ満員電車の車両だと見立てるのです。ホームで待っているお客さんは、僕が次に伝えたい言葉に相当します。お客さんはどんどんと乗り込もうとしますが(どんどん話しかけたくなりますが)、一度に入り口に押しかけると、かえって混乱し乗り込むまでの時間がかかるだけでなく(思考的混乱)、ケガをする人が出るかもしれません(パニック)。危険なので、いっぺんに乗り込まないように一時ストップさせるのです(相手が理解するまで待つのです)。そして私は一呼吸置いて、車両の中の人に聞くのです。「まだ隙間はありますか?あるのならゆっくりで良いので詰めてください。詰め終わったら教えてください。合図の後、ホームにいるお客さんを少しだけ入れてみますね」。もし中のお客さんが「もう隙間はないぞー」とか「隙間を作るにはまだまだ時間がかかるぞー」と言われたときは、次の電車を待つことにします(つまりは、次回会ったときに話すのです)。安全運転が第一ですから。


 ちなみに私が待った時間の最長記録は30分でした。とてもしんどかった記憶があります。定型発達者って、待つの苦手ですよね。