029 「想像力の欠如」のコメントの続き
029 「想像力の欠如」のコメントの続き
齊藤コメント
I君のお母さんは、いろんな表情の顔の絵を描いて、居間の壁に貼ることにしました。①口を開けて笑っている顔、②口を閉じて微笑んでいる顔、③真顔(無表情)、④怒っている顔、⑤泣いている顔の五つです。親しみが湧くようにと、I君の弟の顔に似せて描きました。
表情に合う気持ちを書き入れようとしたとき、I君が近寄ってきました。お母さんは「表情のお勉強のために絵を描いているのよ」と説明すると、I君は絵を見ながら表情に合う気持ちを述べ始めました。どれも表情に合っているものばかりでした。お母さんは、I君の言ったことを顔の周りに書き込んでいきました。面白かったのは、③(無表情)へのコメントの量でした。他の表情に比べると3倍くらい多いのです。③(無表情)は感情を推測するための手がかりがないので、色々な解釈の可能性を含んでいます。I君は、たくさんの推測をしていることがわかりました。
居間に絵を貼り出した次の日から変化がありました。幼稚園から帰ってきたI君は、友達や先生の表情について報告するようになったのです。「~君は、いつも②(微笑み)と③(無表情)と④(怒り顔)だ。もっと①が増えればいいのに」とか「~先生はいつも③(無表情)だ。だから、(指示の意味が)わからない」などとです。それまで、他者の顔など注目することのなかったI君が、お母さんと作った絵をきっかけに観察を始めることになったのです。
観察の目は家族にも向けられました。I君のお父さんは、とても優しいお父さんなのですが、眉間にいつもしわが寄っています。テレビを観ているお父さんを横目で見ながら「お父さんは怒っているの?」とお母さんに尋ねます。お母さんは、絵を指して「そうね、表情は④に見えるわね。でもね、心は②よ。Iのことを怒っているんじゃないの。お父さんは、Iのこと大好きよ」と答えました。I君はそれからしばらく、お父さんの顔を見て不安になると「お父さんは、顔は④だけど心は②」と自分を納得させるためにつぶやくのでした。
I君にとってこの絵は、自分の認識を整理するための枠組みになりました。枠組みが整えられたことで、I君は、普段の生活で目にする表情を分類できるようになりました。表情の差異に気付いたということです。
I君の観察の正確さを物語るエピソードです。「~先生はね。ボール見るときは、②(微笑み)だけど、僕を見るときは、③(無表情)が多いよ」と言ったことがあります。これはどういうことかというと、おそらく先生はまず、I君のそばでボールを使って遊んでみたのでしょう。I君が興味を持つように笑いながら。そして次に、I君がどんな反応をしているのか気になり、視線をボールからI君に移したとき、先生は遊んでいることを忘れて観察することに意識が向いたことによって、楽しげな表情から真剣なまなざしに変わったのだと思います。この違いをI君は見分けていたということです。
もう一つ重要だったことは、かならずお母さんからのコメントがあったことです。絵を互いに共有しながら、表情やそのときのエピソードについてI君とお母さんは色々と語り合うわけです。I君はお母さんのコメントの中に、自分と似ているものあるけれど、それと同時に違うものもあることに気付いていきます。つまり表情の差異に加えて、解釈の差異にも気付いていくのです。
ある日のこと。I君は幼稚園から帰ってくるなり「お母さん、世の中の人って③(無表情)が多いんだよ。知ってた」と、何か大きな発見をしたとでも言いたげな雰囲気で話し始めました。確かにそうです。特に大人の顔は。I君は続けて「でもね、お母さんは、顔は③でも心はあるよね。ということは、他の人も、無表情のときでも心はあるの?」と尋ねてきたそうです。お母さんは「そうよ。無表情でも心はいつもあるのよ」と答えました。I君は「そうかあ」と言ったきり、何か深く考えているようでした。
お母さんの表情と気持ちについては、絵を通じてたくさん語り合ってきました。だから、無表情のときでもお母さんには心があるということを、I君は理解したのです。その認識を、今、他者にも広げようとしているようです。
このエピソードと前後して、幼稚園からトラブルの連絡がパタッと来なくなりました。どうやら相手をしつこく押したりすることが減ったようです。お母さんと話し合って考えたことは、きっと相手の表情に注意が向くようになり、「表情は楽しそうに見えるけれど、心はもしかしたら悲しんだり怒っていたりするかもしれない」というI君とって新たな想像が生まれたからではないか、ということでした。
“ない”ものへの想像力が大切です。以前、クリプキの「暗黙の中の跳躍」を引用してお話したことです(「016 葉を見て森を見ず」参照)。感情を読むには、見たままの情報をそのまま解釈することではない、という気付きが必要です。心の二重性に気付くということです。見たものをそのまま捉え、分類することは、自閉症者のほうがむしろ優れていかもしれません。見えないものが“ある”と気付くこと。このことを自覚することの意義が、早期療育の中で強調されても良い気がします。