028想像力の欠如
028 想像力の欠如
雨野カエラ
想像力の障害という言葉から、想像力の欠如を思い浮かべていませんか。空想力や創造する力が全くない訳ではありません。でも、これから何が起こるのかという予定はしっかりと教えてほしいし、その予定の変更もいやです。何かについて定型発達の人と違った狭い範囲の想定をしているかもしれません。一番の問題は本当の意味の「他者」というのを想像するのも苦手なのかもしれない。ただ、とにかく欠如ではないと思っています。定型発達の人の想像もしないやり方を思いつくのは、時に自閉圏の人たちではありませんか。そうなると想像力の障害があるのはどちらでしょう。
アスペルガー症候群の人の考える他者は「本当の他者」ではないのだと思う。自分の中で考えた他者。それを乗り越えて考えることができない。これが想像力の障害なのかな。
自分の考えた他者だから、自分に都合のいいように考えていると思われてしまうだろうか?しかし、成長と共にそれは修正されていく。大人になったアスペルガー症候群の人は辛い目にたくさんあってきている。自分の中の他者は常に自分を律する人のようになってしまう。たとえ本当はその人が自分に怒りを感じていないとしても、そうは思っていない他者を想像できないのだ。本当の心は聞いてみるまではわからない。そう自分に言い聞かせても、最悪の他者の対応を想像してしまう。それでは心を聞きに行くことさえためらってしまう。想像ができないのではない。想像が間違ってしまうのだ。
定型発達の人はどうやってそれを乗り越えるのだろう。本当に人の心がわかるのだろうか。キーになるのは身振りや表情が読めるかどうかといったことではないと思う。定型発達の人が持つ「あいまいエンジン」がある程度の心の読みを可能にしているのだろうと僕は考えている。
齊藤コメント
「身振りや表情が読めるかどうかといったことではないと思う」ということから考えてみたいと思います。
Baron-Cohen(1995d)は、「目から心を読み取る」心理実験をしました。実験協力者に目の部分だけが切り抜かれた写真を提示し、それに対応する感情語を選択してもらいました。結果、自閉症群は定型発達群に比べ、有意に成績が低かったのでした。
目の部分だけをよく見ると、そんなに多くの手がかりはありません。にもかかわらず、定型発達者はなぜ正答できるのでしょうか?私は、写真を眺めながら考えてみました。目の表情を読み取っているというよりも、「その目にふさわしい全体の表情を思い浮かべ、その表情をもとに感情を推測している」のでないかと思いました。自閉症群は、全体の表情を構築することができないために、成績が低いのではないかということです。すると自閉症群が利用できる手がかりは「目」しかないのです。しかし「目」そのものにはそれほど情報が含まれているわけではないので、誤認する確率は高くなるというわけです。
部分的情報から全体のありようを推測し、想像すること。この実験では、この能力が試されている気がします。表情の一部から全体を推測するためには、理論(ルール)が必要です。さらに理論(ルール)を構築するためには、たくさんのデータが集積されていることが前提になります。定型発達者と自閉症者の成績の差の背景に、データ(経験数)規模の違いが大きく影響していると私は考えています。
次に、経験と表情の読み取りについて、事例を元に考えていきたいと思います。
幼稚園年長のI君(アスペルガー症候群)は、友達を押したり、叩いたりしてはトラブルを起こしていました。毎日、幼稚園から電話がかかってくるようになり、お母さんが困って相談に訪れました。
まず、叩かれた相手がどんな気持ちになったか推測ができているか確認してもらいました。お母さんに尋ねられたI君は「きっと腹が立っているし、悲しい気持ちになっていると思う」と答えました。お母さんは「それだけわかっているのに、どうして叩くのかしら」と不思議に思いました。
もう少し話を聞いてみると、新しい事実が出てきました。友達を叩くのは、別の友達の指示によって行われていたのでした。翌日、幼稚園の先生に確認してもらったところ、本人の話の通りであることがわかりました。
この話をしていたとき、I君がちょっと気になる発言をしたとお母さんは言いました。I君は「でも、あいつ(I君に指示する友達)、笑ってるんだよなあ」と言ったのだそうです。この発言からI君の心の中を推測してみました。そして、次のように仮説しました。I君は「叩いてこい」という言葉がネガティブな内容を含んでいることは理解できます。しかし、その言葉がニコニコと笑顔で話されているので、表情(ポジティブ)と言葉(ネガティブ)が矛盾してしまうのです。I君は、その矛盾をうまく統合できなかったのではないかと思ったのです。うまく統合できないI君は、表情を優先しているようです。
お母さんは「そういえば・・・」と言いながら、「幼稚園に表情の少ない先生がいるんですけど、その先生の指示にはほとんど従わないのです」と話してくれました。どうやら、言葉の意味(メタメッセージによって言葉の意味は変化します)を理解する上で、I君にとって表情は大切な手がかりのようです。先生の指示に反抗していたのでも無視していたのでなく、無表情ゆえに意味が汲み取れなかったのでしょう。
さて、しばらくしてまた、表情の読み取りに関連するトラブルが発生しました。押し合ったり追いかけ合ったりという遊びを子どもはよくするわけですが、I君はどうもしつこいらしいのです。相手の子どもがもう止めたいと思っていても、それに気付かずに続けてしまうので、とうとう我慢できずに、相手の子どもは泣いたり、逃げたりしてしまうのです。
I君は、相手に意地悪をしたいのではないようです。なぜなら、相手が泣いたり、逃げたりした瞬間、ピタッと行動を止めるからです。それだけではありません。「僕なんていなくなっちゃえばいいんだ」と自責の念を抱え、深く落ち込んでしまうのです。I君は、相手が泣いたり、逃げたりなど、はっきりとした感情表現が行われる限りにおいては、相手の気持ちが変化したことに気付くことはできるのです。だから、相手がはっきりと感情表現を行わないということは、相手もきっと楽しいだろうと思って、機嫌よく遊んでいるだけなのです。機嫌よく遊んでいる最中、突然相手が、自分を回避してきたらどんな気持ちになるでしょう。びっくりして、混乱するでしょう。I君の落ち込み方は、まさしく混乱がふさわしいのでした。
この件について、お母さんと次のような話をしました。明確な感情表現(パターン的な表現)は理解することが可能なのだけれど、わずかな表情変化などは読み取りにくいのかもしれない。「0」と「1」の間にある中間的な感情の存在に気付くかどうかが鍵になるのではないか?と。
この話をした後、お母さんは家庭である実践をされるのですが、それはまた来週にお話をいたします。