034 「テクニカル」のコメントの続き
034 「テクニカル」のコメントの続き
齊藤コメント
メールでの議論は、約1年間続きました。いろんな事柄について、意見や感想を交換しました。二人で共有する “知識”や“概念”ができました。 そろそろ会って話してもいいのではないかと私から提案し、大学のゼミ室で議論することにしました。
二人だけではもったいないので、大学院生にも参加してもらいました。しかし、この院生、議論開始から20分ほどでウトウトと眠り始めてしまいました。院生を横目で気にしながら、その日の勉強会を終えました。院生にお灸をすえようと、なぜ眠ったのかと研究室で尋ねました。院生は「今日は眠ってしまってすいません。雨野さんと先生の話を聞いても内容がさっぱりわからないのです。日本語としては分かるのですが、何について話しているのかが全然わかりませんでした。すると急に眠気がきたのです。意味が分からないと、集中力が保てないものなのだとよく分かりました。普段のアスペルガーの方たちの気持ちが分かった気がします。雨野さんと先生の間に挟まった私は、まるで意味を喪失したアスペルガーと一緒だったのかもしれません」と言いました。
叱ろうと思ったのですが、思わずなるほどと納得してしまいました。雨野さんと私にとって、なじみのある議論が、初めて聞いた院生にとっては、全く理解できないものだったわけです。雨野さんと私だけは、二人だけの“暗黙の了解”を共有していたのだと言えます。
この時期、私はいつも「雨野さんならば、どのように考えるだろうか」と暇さえあれば想像していました。相手に同一化しようとすると考え方や動作が似てくるように、私も自然に、言葉遣いや思考の肌理が雨野さんに似てきました。似てきたことに気づいたのは、妻と口げんかすることが増えたことがきっかけでした。
どういうことかと言いますと、家に帰って妻から一日あったことを、色々と聞くわけですが、なにせ短い時間にいっぺんに話そうとするわけですから、理路整然とは言い難いのです。その話し方が、いちいち気になり始めました。例を挙げますと、「主語が無い」「複数のエピソードが並行して語られている」「感情的な問題が優先されていて、問題解決は二の次」「時間的順序がバラバラ」「オチがない」などなど、雨野さんとのメールでは考えられないほどの言葉のあいまいさに苛立ちを感じるようになりました(妻がこれを読むときっと怒ると思われます)。なので、私はいちいち「それって誰の話でしょうか?」「その話にはどんな意味があるのでしょうか?」「先ほどの話と、今の話との関連は?どっちが原因なの?」などと、無粋な質問を夫婦の団欒において尋ねてしまうようになりました。
妻は、私の態度に怒り心頭。そりゃあそうです。自宅の茶の間で、愛する夫とただ会話を楽しみたいのであって、面接を受けているのではありませんから。私の目の前に仁王立ちになった妻は「あんたねえ、心理学をやっているくせに、人の心がわからないのおお!“今日は大変だったね”って共感しろ!」と怒鳴られる始末。「やれやれ」でした。
この話を雨野さんにすると、ニコッと笑って「僕もそうなんです」とパートナーとのエピソードを話してくれました。雨野さんに慰められながら、「定型発達の会話は難しいね」と二人はしみじみ語りあったのでした。