発達支援Q&A
質問その10 形容詞や副詞は苦手?
Q 「少なめ」「多め」「長い」「短い」など自己の概念で判断するものがあり、他者と食い違うので、言葉を正確に読み取るASDの子は苦手なのではないでしょうか。
例えば「ちょっと待ってね」の「ちょっと」は、状況や人によって違いがあるからです。ASDの子には難しいので、「ちょっと」の部分を具体的に指示・説明してあげてください。
具体的な説明を繰り返し受けているうちに、少しずつですが語用法を獲得していくと思います。
たとえ場面限定的な獲得の仕方であっても、それはそれで大きな進歩だと私は考えています。
質問その11 国語の授業で困ることは?
Q 国語の授業でも思考がフリーズすることがありますか?
A 文章題の読解問題に悩む自閉症スペクトラム障害(ASD)の子どもは沢山います。
日常生活において相手の気持ちを考えるのと同じように登場人物の心情を推測することは難しいからです。
「登場人物の心情を推測しなさい」というような問題は、答えが論理的に導き出せないので、最も不得意な課題になる場合があります。
例えば「たぬきさんの気持ちを答えてみよう」という問いに対し、「たぬきに聞いてみなければ分からないものを、たぬきではない自分が答えることはできない」という厳密な態度が、ASDの方々の基本スタンスのように思います。
以前、あるASDの小学生に「たぬきの気持ちを答えてみようとあるけれど、問題の作成者は、たぬきの気持ちというよりも、たぬきの気持ちになっているあなたの気持ちを聞いているんだよ」と説明をしました。
その子どもは「そんな事はどこにも書いていない」と言いましたが、テストの際に、実際にそのように解答したところ丸をもらえたことで、納得することができた例がありました。
また、あるASDの中学生には大学生と一緒に、読解問題を解く練習を繰り返すことで、「人によって解答の中身が違うが、共通項があり、それを答えると正解になる」というように、解答のコツが分かるようになっていきました。
質問その12 部活動が辛くてやめたいときには?
Q 自閉的な傾向をもつ人にとって、居やすい環境と居づらい環境があると思います。
集団スポーツの部活動に所属する子どもが、「辛くてやめたい」と言った場合、引き止めないのが優しさなのでしょうか。
A 状況によりますね。本人が自分の特性を自覚した上で「僕には向いていない」と判断しているならば、無理に引き止めなくても良いと思います。
自分の特性をどれぐらい認識し、かつ肯定的に受け止めているかによって、アドバイスの方向性や支援の方法は変わってくると思います。
本人が「なぜ辛くなるのか」の原因について自覚していない場合には、私の場合、引き止める場合があります。
「なぜうまくいかないのか」を一緒に考え、本人が納得した上でやめる(もしくは続ける)という自己決定が大切だと思うからです。
辛くてやめたがっていることに対し表面的に共感して、その後の展望も示さないままなのは、時に無責任な対応となってしまいます。
例えば「(試合中に)相手の行動を予測することができないので、監督の作戦通りに動けない、だから試合に出してもらえない」と言うので、「やめたいの?」と聞いたところ、「僕はスタメンにはなれませんが、体を鍛えることが好きですし、バスケットボールが生活の中心になっているので、これからはバスケットボールを楽しむということに目的を切り替えて続けていきます」と言いました。
自分の特性について知ることは、活動の意味を柔軟に切り替え、捉えるようになることに影響しているようです。
質問その13 シンプルに考えるには?
Q 先生の支援の解答例を見て意外とシンプルだと思いました。シンプルに考えるコツは何ですか。
A ASDの方は他者との経験共有が、成育歴を通してかなり少ないわけです。
結果、私たちにとってみれば当たり前で、いちいち明示しないルールについて知らないことが多々あるんですね。
それが原因で、周囲の人間との間に勘違いや誤解がおきトラブルに発展するわけです。
学校で教育相談をしていると、自分に常識があると思っている先生ほど、ルールそのものが当然の前提になっていて、より高次で複雑な水準に原因を求めがちな印象があります。
ですから、初めて学習をする子どもの気持ち、初めて社会集団に参加する子どもの気持ち、初めて新しい言葉を使う時の気持ちなど、あらゆる経験・学習の初期段階を想像し、シンプルな方向に考えていくクセをつけていけば、案外早く解決策が見つかるのではないでしょうか。
質問その14 情報過多の意識状態とは?
A 当然影響します。
沢山の刺激の処理に追い立てられている状態ですので、疲れやすかったり、集中力が続かなかったりする状態になります。
大人になるまで自分が疲れていることを知らなかったと、相談の中でお話された方もいました。
刺激に圧倒され、なおかつそれらを処理し続けるわけですから、自分の状態を客観的に把握する余裕もなく、限界が来るとバタッと倒れてしまう方もいるのです。