雨野カエラのエッセイ
040 冷静と情熱のあいだ(2)
040 冷静と情熱のあいだ(2)
From 雨野 To 齊藤
僕は人から愛想が良い、と愛想がないの両方の評価を受けます。
実はいいという評価をくれる人は、
その人自身が朗らかで、元気に近付いてくれる人です
「愛想がないことを悪いと評価する人は、
その人自身があまり表情をあらわしていないことが多いです。
(ミラーシステムは働いている。むしろ引きずられる?)
自分からの感情の発信がうまくできません。
(知と情の距離が遠い?)
人の話にはあまり反応しないのに、
相手の表情の読み取りはしています。
人が聞いてくれないとか怒っているとかが目に入ると困惑しますが、
相手が僕の表情を見て困っていることはその場ではあまり考慮されていません。
(だいたいよく見ていない。見ると迷うから)
考えて表情を作る事もあるし、ごく自然にできることもありますが、
一般的な無意識のサインの取り交わしとは、
わずかに違ってしまっているのではないかと思います。
愛想がなく疎遠でよそよそしい態度になってしまうことも多いと思います。
(近付きたくない)
それなのに言っている理屈だけはなんとなく正しいとしたら、
無意識にそれを受け取ってしまう相手は腹立たしいだけですね。
自分で修正する訓練をしても相手の無意識に訴えかけるのは難易度が高そうです。
わかっているとか、気にしない人ならいいのですが。
共同注意というのは、
私とあなたで同時に対象物をみていると言えそうですが、
これを視線が合うという場合で考えてみます。
1:あなたは私を見ている(あなた→「私」)
2:私を見ているあなたを私は見ています(あなた→「私」)←私
「私」に対する共同注意のメッセージのやりとり。
なんだかややこしいですが、
僕が、時々相手を見たところで1しか行われていないのだから、
(動物的、、、)
相手の心を想像したメッセージにはなっていないわけです。
わざと、ではなくてそうするのが自分にとって自然なのですが、
なんだろうか、これは。
(動物的な情動をコントロールするために知が突出する?)
理―――――◇―――――情
これ?
From 齊藤 To 雨野
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1:健常 理―――◇―――情
2:間違った自閉 理―◇―情
3:間違ったアスペ 理―――◇―情
4:アスペルガー 理―――――◇―――――情
カナー
5:動物 理――◇―――――情
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この図と解説は面白かったです。僕も、どこかで2や3のような印象をもっていたかも知
れない。反省。考え直します。
4の場合、情動が未分化なのだと捉えていいのかな。雨野さんは動物的と表現してる
けれども。感覚過敏を、「快-不快」の水準と結び付けているのは、「そうだよね!」と思いました。
情報処理モデルの問題としての感覚の問題ではなく、感覚を評価する下位の情動回路の暴走と捉えた方がいいんじゃないかと思っていたので。そうじゃないと掃除機の音は大丈夫なのにドライヤーの音は嫌いということがうまく説明できないもの。
>私とあなたで同時に対象物をみていると言えそうですが
>これを視線が合うという場合で考えてみます
>1:あなたは私を見ている(あなた→「私」)
>2:私を見ているあなたを私は見ています(あなた→「私」)←私
>「私」に対する共同注意のメッセージのやりとり
>なんだかややこしいですが
>僕が時々相手を見たところで1しか行われていないのだから
>(動物的、、、)
>相手の心を想像したメッセージにはなっていないわけです
相手の表情は読み取っているのに、相手の表情に影響を与えている自分の言動は、モニターされていないわけですね。すると、「相手→私→相手→・・・」というような自分と相手の相互作用ではないのですね。本当は相互的なやり取りのはずなのに、相手の情報だけだと、情報が分断されてしまいますね。
意識すればできるものなのでしょうか?