2011年8月の記事一覧
008 理解することと行動することのあいだ
008 理解することと行動することのあいだ
雨野カエラ
一緒に歩いている誰かが、凍った道で転ぶ。僕は何も言わない。すると彼は怒る。感情がないのかと非難する。でも声を掛けられてうれしいかどうか、本当は心配されたくないのかどうか、どうやってわかる?声を掛けられたくないのか、掛けて欲しいのか。何か言うとすればなんて言えばいいのか。どうやって選べばいいのだろうか?本当は心配しているのに。
子どもの時から自分は心の冷たい人間なのではないかと思っていた。心のないロボットなのではないかと思っていた。みんなと同じ様に声を掛けることができなかったから。まわりからそう言われるから。
目の前で転んだ人がいるとするだろ。人の立場に立って考えなさいってよく言われるから、そう考える。自分が転んだらどう思うか。声を掛けて助けおこしてもらいたい時もあるし、見なかったことにしてほしい時もある。どちらかは決められない。それで何も言えないでいると人の気持ちがわからない人って言われてしまうんだ。自分がその人の立場だったら、と想像するだけでは足りないらしい。
他人は自分の考えている以外のことも考えている。そこが自分には足りないんだ。でもそのことを想像するのは難しい。もしかしたら僕に足りない脳の機能って、そのことなのかもしれない。相手の立場に立って考えれば考える程、考えてもみなかった答えを返され、ショックを受ける。相手のことを心配しているのに人の気持ちがまるでわからないと非難されることは、とても悲しい。思いもよらない意見や批判や干渉を受けることは、真剣に相手のことを考えていただけに衝撃を受ける。
心配していることを相手に言わなければ伝わらない。そう思えないことが問題なんだ。だって人が転んだ場面では心配するのが当然だろ。だから心配している。僕はひどい人間ではない。だから当然そう思っていると「相手も思っている」と考える。ほら、ここなんだ。だから人の気持ちを考えるテストをすると成績がよくない。そのことを想像力がないって言うらしい。思いやりがなくって、空想もできない、というのとはちょっと違うよ。
-----
齊藤コメント
この文章を読んだとき、以前読んだ論文を思い出しました。
Travis(2001)は、言語能力の高い自閉症スペクトラム児童を対象に、社会的場面における理解力と行動力との関連を調べました。
結果、関心のあるおもちゃに相手の注意を向けようとする者(共同注意を開始する能力)及び、紙芝居中の登場人物の感情とそれを観ている自分の感情が同一と捉える傾向の高い者(共感性)が、向社会的行動(自発的に他者を助ける行動など)や友達との遊びを積極的に行うことが分かりました。
一方、心の理論課題などで測られるような推論能力との関係は低いことが分かりました。
雨野さんのように、客観的な分析能力を持っている方でも、現実の生活、特に対人場面では苦労しています。知識や論理的な推論能力が現実の社会的な行動と相関しない、というTravisらの結果は、確かに当てはまりそうです。雨野さんは、相手の感情の推測は行っています。しかし、どの解釈が適しているのかの最終判断ができないので困っているのです。
関心を持つ対象に相手の注意を向けようとする共同注意行動の背景には、「学校キライ(4)」で書いた「他者(世界)を動かす有能感」がなければいけません。雨野さんによる発達障害の定義は、この有能感が持てないことが中核となっています。相手が自分の期待通りに行動してくれるという確信が得られないので、頭の中の仮説で終わってしまうのです。「行動」まで、たどりつけません。
「会話が途切れれば、何か違う話題を提供しなければとは思っているんです。でも、『そんな話をしたいんじゃない』とか『お前の言っていることはわからない』などと言われるのではないかと、ネガティブな想像ばかりが思い浮かんでしまい、結局言い出せません。黙ったままになります」。
これに関して、雨野さんの世界観をあらわす文章を紹介します。
「私」は世界に含まれていない。
「私」は観測者。
「私」はナレーター。
「私」は映画を見ている視聴者。
世界に対しては、「傍観者」
世界に「私」はいない。
「世界は私だ」の感覚。
定型発達者は「私は世界だ」と思う人たち。
映画を見ている視聴者という喩えは、分かりやすいですね。映画の中で、人が転んでも、席を立って助けに行く人はいません。登場人物に働きかけても、こちらに応答してくれたり、ストーリーが変化すると思っているわけではありませんから。
次に、登場人物と同一の感情が、自分にも生じていると感じる力(共感性)について考えてみたいと思います。
ある日、雨野さんは「齊藤先生は、人に褒められると楽しいですか?」と尋ねてきました。私は「うれしいですね」と答えました。しかし、彼は「僕はあまりうれしくありません。自分と似ていない人に褒められても、それが褒めることに値するのかどうか分からないからです。僕は、自分と他者は似ているとは思えないのです」。
だから彼は「正の報酬をもらおうとして行動するのではなく、負の報酬を避けるように行動するようにしている」と言います。相手を怒られないように、悲しませないようにと。
先ほど、現実はまるで映画のようだ、という雨野さんの世界観についてお話しましたが、常にこのような世界観に埋没しているわけではありません。このような世界観が強まるのは、対人的なトラブルがあった後のような、ひどく落ち込んだときが多いようです。
「この世界に身体を持つことはつらいことです。なぜなら、他者の評価は、僕という物理的に存在に向かって行われるからです。ネガティブな評価に耐えられなくなったときは、意識の中で身体を消していく想像を行います。すべてを消すわけではありません。世界を眺めるのは楽しいので、眼球は残します。自分が眼球そのものになるまで、身体を消していく想像を続けます」。
この作業が行われないとどうなるか?他者はどんどんと自分に向けてメッセージを送ってきます。すると、
「他者のインフレが生じる」
「あらゆるものに他者を感じる」
ようになるというです。おそらく、自分が伝えようとしたことと他者の応答との間に対応関係が認められないことによって(時には自己を完全否定されてしまう経験によって)、「他者の応答=自己を写像したもの」というタグがはずれ、他者からの一方的な写像を感じることになるのだろうと思います。「自分」がなくなっていく不安を感じているのかもしれません。
雨野さんは、このような話をしたあと、社会性について以下の文章を黒板に書きました。
「社会性とは、自分と他者は似ていると思えることである」と。
Travis,L, Sigman,M & Ruskin,E 2001 Links Between Social Understanding and Social Behavior in Verbally Able Children with Autism Jounal of Autism and Developmental Disorder Vol.31 No.2 119-130
007 子どもの頃、好きだったもの
007 子どもの頃、好きだったもの
雨野カエラ
子どもの頃のことをもう少し書こう。
好きだった物は、読書、動物、マンガ、アニメ、映画、一時期は電車。
ドリトル先生やムツゴロウさんの本をよく読んでいた。畑正憲さんの本は小学生が読むには大人向きのことも書いてあったように思う。片付け物ができないくせにマンガと本だけは1巻から順に並べていた。すると「几帳面だねえ」と部屋に入ってくる大人に言われる。僕は大事な本のことで干渉されることがいやだったから、それからはわざと乱雑に見えるように並び替えた。これなら自分の思うように並べられるし、大人に干渉されることもないからね。
広辞苑や時刻表、電話帳を眺めるのも好きだった。中学生になってからは対談本をよく読んだ。対談を読んだ後は参加者の一人になりきって、頭の中で彼らと対談を続けられる。対談は現実の会話とは違い、後から書き起こされて整理されているからずっと論理的な会話が続けられる。どうしてみんな対談の人たちのように会話ができないのだろう。それならもっと会話も楽しいのにと思う。
パソコンの雑誌を読むと気分が落ち着く。コンピューターのスペックを眺めていると、割り切れない人間のことを考えなくて済むからかな。
集めていたものは、小さなネジ、リード線、ビー玉、パチンコ玉。
機械の分解が好きだった。ラジカセ、ビデオデッキ、フィルムの8ミリカメラ。分解の「気持ちよさ」にまかせてバラしていくので、組み上げた時には元通りにならず、たいてい最後にネジが余る。とくに精密ドライバーをつかって外すような小さなネジが好きでしまい込んでいた。発明家になりたかったよ。
ビー玉は封じ込められた小さな泡を眺めたり、日にかざしてキラキラしているのを少しずつ角度を変えて楽しんだ。今でもビー玉がレールを転がっていくおもちゃが好きで、やはり太陽の光をあてながら見るときれいだ。今度、銀色の金属球がレールを転がり続ける、ちょっと前のおもちゃが復刻されると聞いて楽しみにしている。
ブロックも大好きだった。必ずシンメトリーになるように作っていた。でも、これも大人に何か言われそうな気がして、わざと必ず非対称に作るようになった。今でもレゴのセットをたまに買う。
持っていたおもちゃではミニカーを中心に、毎回同じ勧善懲悪ストーリーで遊んだ。おもちゃのお気に入りの順序は厳格に決まっていた。これはとても重要。
アニメソングを録音したカセットをたくさん持っていた。やがてテレビで放送される映画をたくさん録画するようになった。どちらもリストをつくってまとめていたからかなりの本数になる。
-----
齊藤コメント
雨野少年は、構造が明確なものが好きだったようです。対談本の話、コンピューターのスペック、勧善懲悪のストーリー、対称性のあるブロックなどがそうです。理解できることは安心につながります。「割り切れない人間のことを考えなくてもすむからかな」という本音からは、構造の見えない状況に対する不安が垣間見えます。
対人的なやりとりをする上で、時間的な構造化は空間的な構造化よりも重要な気がします。自閉症の子ども達が「ボタンを押すと音が鳴る」「球を入れるとクルクルと回りながら落ちる」というような単純なおもちゃに没頭するのは、自己の動作とその結果の時間的な因果関係が捉えやすいからであろうと思います。
自閉症の子どもと遊ぶと、やり取りが続かないばかりか、こちらに関心すら向けてもらえないことがあります。一方、おもちゃに没頭している姿をみると、なんだかさびしい気持ちになります。こういう場合、私のかかわり方の時間的構造が流動的で、子どもにとっては構造が見えにくいものになっているのだと思います。
このことは遊びに限ったことではありません。普段の会話なども厳密に構造化されているわけではありません。むしろ、あいまいな表現、かみ合わない言葉のやり取りが頻繁に生じています。
ある女性の当事者に、幼い頃の話を聞いたことがありました。
「周囲に人がいることは分かっていたが、興味がなかった。自分とは関係のないものと思っていた。友達の遊びに加わっても、どんどん遊びが、グダグダになる。どう振舞って良いかわからなかった。結局、絵本などの自分好きなことをしていた」
“どんどん遊びがグダグダになる”とは、おそらく目的やルール、方法の変更を指しているのだと思います。彼女は変更を楽しいとは思えず、“どう振舞って良いかわからなくなる”くらいに困ることだと思っていました。一緒に遊ぶことの意義が見出せない彼女が、一人遊びになるのは必然です。他者は構造を乱す者として捉えられています。だから自分とは関係ないものとして、彼女の世界から排除されていたようです。
ある療育機関で実習した時のことです。6歳の自閉症の子どもとセラピスト(以下、Th.)が遊んでいるところを観察していました。
その子どもは、おもちゃのレジスターで遊んでいました。隣にいるTh.にアイコンタクトすることなく、黙々とボタンを押していました。Th.は子どもの行動に効果音をつけたり、言語化したりと、途切れずに働きかけていました。そのような状態が、十数分間続きました。
おそらく偶然ですが、お金を入れる一番大きな引き出しが勢いよく飛び出しました。黙々と遊んでいた自閉症の子どもの表情が変化しました。はっきりとした表情ではなかったのですが、驚きの感情が生じたように見えました。
その時です。Th.が「わぁー!」と子どもの驚きを代弁するかのような声を出しながら、数回でんぐり返しをしたのです。一瞬、私は「なんだ!?」と思いました。引き出しが飛び出たことに驚いている暇もないうちに、大人(Th.)が派手なでんぐり返しを行ったのですから。それも連続で。
ふとわれに返り、観察中であることを思い出し、子どもへ視線を移すと、引き出しが飛び出てくるボタンを再び押そうとしています。偶然かなと最初は思いましたが、その後も繰り返していたのでそうではないようです。ボタンが押されるたびに、Th.は最初のときと同じタイミング、同じ声の大きさ、同じ速度、同じ回数のでんぐり返しを、きっちりと再現して見せています。この間子どもは、Th.の方を見ていませんでした。視野のはしっこで確認している程度だったと思います。
その後も、延々と続きました。子どもは明らかに、Th.を動かすために、そしてその予測が確かなものであるかを確かめるために繰り返しボタンを押しました(まるで実験しているようでした)。数回のセラピーが過ぎた後、子どもの行動に変化が起こりました。ボタンを押す前にニコッと笑ったのです。これは期待が成立したことを示唆します(僕がボタンを押せば、きっとこのおじさんはでんぐり返しをするぞ!)。他者が行動する前に、結果を予測するということはつまり、人の心を読もうとする態度と同じと言えます。
しかし、ここまでくるには長い道のりが必要でした。Th.の正確な反応と何十回もの繰り返しの末に起きた変化でした。私ならばとっくに飽きて、子どもの期待とは違う反応を返し、子どもを落胆させていたでしょう。
ニコッと笑った表情をTh.は見逃しませんでした。それまで、ボタンを押すのとほぼ同時にでんぐり返しをしていたのですが、少しポーズを置いてから回るように反応を修正したのです。すると、それまでTh.とアイコンタクトしなかったこの子どもは、「おかしいな」とでもいうように、初めてTh.の顔を見たのです。Th.は、子どもが自分に視線を向けてきたことを確認してから、でんぐり返しをしました。その後は再び、ほぼ同時のでんぐり返しを数回行い、時折、ポーズをとって期待を少しだけ裏切るという、変則的な遊び方に変わっていました(変則的といっても、ポーズはほんのわずかの時間です)。これをまた延々と続けたのです。
するとポーズを置いたときに、アイコンタクトが明確に出現するようになりました。Th.は、徐々にですが「ボタン押し→でんぐり返し」という因果関係から、「Th.を見る→でんぐり返し」というように、要求の対象をモノではなく人へと導いていたのでした。子どもの側からすれば、最初のアイコンタクトは「あれ、おじさん壊れたのかな」くらいの感覚だったのかもしれません。しかし繰り返しの中で、子どもはボタンを押して相手をでんぐり返しさせるよりも、相手に視線を送るだけのほうが、はるかに便利なコミュニケーション手段であることに気付いていったのでしょう。ボタンを押すのと同時に、アイコンタクトすることが増え、かつ注視時間が長くなっていきました。
アイコンタクトが安定してきたころ、Th.はあらたな変更を行いました。ポーズをより長く置くようにしたのです。子どもの反応も、それに応じて変わりました。Th.とアイコンタクトするときに、不快そうに発声をするようになったのです。「どうしていつものように回ってくれないの?早く回ってよ」とでも言いたげに。Th.は、「ごめんごめん」などと言いながら、タイミングを元に戻してでんぐり返しをして、一旦安心させます。しかしすぐにまた長いポーズをとります。当然子どもは怒ります。はっきりと怒った声で、感情を伴った要求をするようになりました。
数週間前であれば、Th.は期待通りに動かなければ、すぐに他者を回避し一人遊びを開始していたでしょう。でも今は違います。怒りながらもしつこく要求するようになったのです。関係に“粘り”が出てきたのです。
ここまでの流れを簡単におさらいしてみましょう。子どもが他者を操作しようとする手段の変遷です。おもちゃにばかり集中していた子どもが、だんだんと人を動かす面白さに気付き、道具的な要求の仕方から感情を伴う発声を用いた要求の仕方に変化しています。
一人遊び
↓
ボタンを押して他者を動かす
↓
視線を送って他者を動かす
↓
感情を伴った発声で他者を動かす。
Th.は、要求の仕方を子どもに教えたことは一度もありません。互いの行動が関連し合っていることを丁寧に粘り強く示し(時間的な反応の正確さは本当にすごいものでした)、子どもに期待を抱かせるようにしただけです。
他者への期待が確かなものになるにつれて、他者と共有する台本が形成されていきました。この台本こそ、雨野さんが対談本の例で述べていた、対人的なやり取りにおける時間的な構造化なのだと思います。台本が共有されれば、自閉症の子どもも見通しがつくようになり、次の結果に確信が持てるようになるので、安心して要求行動が増えてくるのです。他者の反応への信頼感が、子どもの要求を高めていったのです。重要なのは、台本を子どもと一緒に作り上げることです。
基本となる台本を作り上げた後、Th.は台本を修正することに工夫を凝らします。台本を修正された子どもは「どうなっているんだ!台本どおりやってくれ」と言わんばかりに、Th.に感情・意図を訴えるようになります。同じ台本を共有していても、自分と他者では、その運用や解釈は違うものです。Th.は、ポーズを置くことや、ポーズの長さを変化させることで、子どもの台本の解釈に揺さぶりをかけたのです。このTh.に学ぶべきは、台本の変更のアイデアの繊細さと多様さ、そして子どもの反応への感度の高さです。ほんのわずかな落胆も見逃さない観察力です。
やりすぎれば回避されます。変化が子どもにとって小さすぎれば、他者はずっと道具のままです。
“同じ台本を共有しつつも、解釈は色々とある”。この子どもが学んだのは。他者と自分の心の違いについてだと思います。しかし違っていても、台本の構造自体が崩れているわけではないので、驚きはするでしょうが、なんとか元に戻そうとします。つまり他者に修正の修正をしてくれるように交渉しようとする意図が生まれるわけです。
私が学生時代、このTh.に何度も注意されたことの一つに「おもちゃに負けるな。おもちゃより人間のほうが面白いと思わせるように遊びなさい」というものがありました。おもちゃを操作する時に感じる明確な時間的構造を、他者とのやり取りのなかでも構築することができれば、子どもが楽しめる範囲でという条件付ではありますが、不規則な、もしくは予測不可能な変化(反構造)を生じさせ、ものごとの結果には多様性があることを伝えていくことは可能だと思うのです。構造と反構造がバランスよく対立するその間に、感情や意図というものが育つのだと思います。構造しかない静的な世界ばかりでは、自他の区別が未分化なままで育ちません。しっかりした構造を形成することがでればできるほど、大胆な反構造を子どもに提示することができるのと私は考えます。このTh.の遊びには、二つの側面が絶妙なバランスで機能していたといえます。
構造と反構造が、時々刻々と図と地が反転するように表れるとき、構造が基準となり、次に表れる反構造との差分を認識することが可能になります。反構造が構造に吸収されるわけです。新奇な経験であっても分類することが可能になります(見通しのない状況での不安の軽減)。また反構造の次に表れた構造は、反構造の影響を受けて、新たな構造に変化するきっかけを得るかもしれません。より複雑な環境に対応できるよう新しい構造にバージョンアップされるのです(こだわり、同一性保持の軽減)。
構造(台本)と反構造(不確定な事態)との往復の中に身を置く人間は、少しずつ自分と環境との相互作用という目に見えない一次元、上の構造に気付いていくのだと思います。
006 馬の心、人の心
006 馬の心、人の心
雨野カエラ
大きな音がきらいで、いつもの場所に物がないと驚き、いつも時間通りに生活し、時々パニックになる。まるで自閉症者みたいなもの、それは馬です。
馬を見ていると自閉症者との類似に気付きます。補食される動物と自閉症者の比較はテンプル・グランディンも行っています。僕はそこに「群れの動物」という点も加えて考えます。自閉症者は群れるのが嫌いなのではないかと言われる方もいるかもしれませんが、ここでいう「群れ」は、人間のように個の消えない「群れ」ではありません。補食される動物の群れとして考えるのです。群れの誰かが危険を発見するとそれは群れ全体の情報となります。群れはそれ全体が個です。そこには自他の区別が希薄です。自分の得た情報は全体が知っている情報。群れが得た情報は自分も知っている情報。群れが群れとして行動するためにはそういう本能が必要な気がします。
自閉症者は他者の意図を想像するのが苦手だと言われます。自分の思っていることを相手も全く同じように思っている、と思いがちだからです。そのことを「人の気持ちが分からない」「想像力がない」というのだとおもいますが、「思いやりがない」とか「創造性がない」というのと同じではありません。
僕は「言わないとわからない」というのがわからない事があります。自分の考えていることを相手も同じように考えているとしたら、言わないでも分かるはずですよね。他者は自分とは違うことを考えている場合がある、ということを認知できないのです。自分の知っている情報は相手も当然知っていると思いがちです。情報が同じなら同じ結論に「言わなくても」達するはずだと思ってしまいます。もちろん大きくなって、そのことは経験から得た知識として修正されていきますが、認知を変化させるところまではなかなか達しません。自分の思った通りにならない、それを受け入れるために、みんなのほうが何でもよく知っている、自分はいつも間違っているという認知を成長させてしまったりします。時には相手が間違っていることもあるし、また時には自分が間違っていることもあると言う認知には達しません。自分が正しいか、群れ全体が正しいかではなく、群れの認知としては常に一つのことなのです。
自閉症者は動物の群れの認知を持っているために、他者の考えを取り入れようとするのですが、他者は気まぐれでいつもバラバラなことを考えています。普通の人間の群れのなかでやっていくには自閉症者には苦労が多すぎます。
-----
齊藤コメント
「群れの動物」として思い浮かぶのは、例えば草食動物ですね。群れている動物は、まるで集団として意思を持っているかのような動きを見せることがあります。個と個が互いの意思を確認しながら、各瞬間に動く方向を決定しているのではなく、あたかも当然のように、各個体が一斉に向きを変える様子は、見ていて不思議なものです。
群れる動物たちにも、もちろん個体差はあるでしょうが、おそらく外部の刺激に対する認識の仕方や行動の選択は、人間に比べて類似度が高いのでしょう。認識パタンや行動パタンの自由度が低いとも言えます。そのように考えると、ある状況において、動物達が同じ行動を一斉にとることの解釈ができます。全体は個であり、個は全体であるゆえんです。
このことに関連する雨野さんのエピソードを紹介します。雨野さんの子どもの頃の話です。
目の前に椅子があります。雨野少年はその椅子に座りたいと考えています。しかし、クラスメートが先に座っていました。雨野さんは、座っているクラスメートの前にじっと立ちます(立っているだけです)。クラスメートは席を譲ってくれるそぶりを、一向に見せません。だんだんイライラしてきます。雨野少年は次のように考えます。「僕がその椅子に座りたいのを知っているはずなのに、知らないふりをして座っている。これはきっと意地悪をしているに違いない」。我慢しきれなくなった雨野少年は、そのクラスメートを突き飛ばしてしまいました。
二つ目のエピソードも子どもの頃の話です。ある日、クラスメートが昨夜見たTV番組について話しかけてきました。「雨野、昨日のTV面白かったな!」。しかし雨野少年は答えません。なぜなら雨野少年にとって、確認し合うまでもなく面白かったからでした。なぜ、自明な事実を改めて尋ねてくるのか、戸惑ったそうです。これはきっと僕をからかっているに違いない、と腹立たしい気持ちになったとのことです(話題を変えるとより分かりやすいかもしれません。例えば、私の妻がゾウの写真をみて、「ねえあなた、これゾウよね。あなたは何だと思う?」。バカにしてるのか?と一瞬思ってしまいます)。
この二つのエピソードを、クラスメート側から見るとどうなるでしょうか?ちょっと想像してみましょう。一つ目のエピソードから。
友達と楽しく会話をしていると、そこに雨野少年が近づいてきました。自分に話しかけるのかな?と思ったけれども、何かを話し始める気配はなく、ただ自分をじっと見つめているだけです。友達との会話を再開し、しばらくして振り返ると、雨野少年は先ほどと同じ場所に立って、自分をまだ見つめていました。驚きましたがどのように対応してよいかわからず戸惑っているうちに、いきなり突き飛ばされました。
二つ目のエピソードです。
昨日見たTV番組が面白かったので、朝、誰かと話そうとクラスを見渡すとすぐそばに雨野少年がいました。「昨日の○○見たか?」と尋ねると「見た」と言うので、早速「面白かったな!」と話しかけました。しかし雨野少年は黙ったまま返事をしてくれません。「見たか?」の質問にはちゃんと答えてくれたのに、なぜ黙っているのか不思議です。
かなり私の想像が入っていますが、やり取りは以上のようなものだったと思います。このようにそれぞれぞれの立場からエピソードを眺めてみると、心の内容が大きく違っていることに気付きます。雨野さんは、乱暴な性格だったわけでもなく、気難しい気分屋でもなかったわけです。相手の行動の裏にある意図を読んでいないことが原因だったのです。なぜ読まないかは、先ほどの「群れの動物」の例のごとく、自分と同じことを感じ、考えているはずだという雨野少年の強固な信念に基づいた結果なのでした。
自閉症スペクトラムの人たちは、共同注意に問題があるとよく言われます。結果として共同注意が成立していないというのは、確かにそうなのですが、雨野さんの話を聞くと、当事者の主観においては捉え方が違うようです。彼らはむしろ、プリミティブな意味合いにおいて、共同注意が成立していると思っているのかもしれません。なぜなら、自分と同じ対象に関心を持ち、同じように感じ、同じように考えていることを前提としているわけですから。これ以上の“共同”感覚はありません。ただし、自己の認識を他者にまで過剰に拡張した結果としての共同注意なので、客観的には“共同”は成立していません。自他を区別したあと、各々の注意を共同するところに、共同注意の本質があるわけですから。
以前相談していたアスペルガー症候群の子どもの話です。ある日、ウルトラマンの映画をお父さんと見に行きました。帰ってきてすぐに、一緒に映画を観ていないお母さんに「お母さん、どうしてウルトラマンはあそこでやられそうになったの?」と質問しました。お母さんは「観ていないから分からないわ。まずどんな話なのか説明してみて」と返答しましたが、腑に落ちない様子だったそうです。そして「ねえ、どうして」と質問を繰り返したそうです。お母さんは困ってしまいました。
小学校に入り、自分の好きなポケモンの話を、何十分でもクラスメートに話すようになりました。聞いてくれたクラスメート達もだんだんと敬遠するようになりました。私は「どうしていつもポケモンの話をするの?」と尋ねました。すると「だって僕が楽しい話だから。友達もきっと楽しいはず」と答えました。悪意があって話しているのではないことが分かります。自分と他者は同じなのです。自分が楽しいように、相手も同じくらい楽しいであろうと信じているのです。
しかしクラスメートに敬遠されるようになったことがきっかけで、この子どもはなぜ相手が僕の話を聞いてくれないのかと、考えるようになりました。ある日、お母さんに相談しました。「どうして誰も僕の話を聞いてくれないの?」。お母さんは答えました。「明日から、聞いて欲しい話があったら、まず『僕、これから○○の話をしたいんだけど、君は知ってる』って聞いてごらん。もし知らないって言ったら、話すのをやめたほうがいいわ。でも知ってるって言ったなら、あなたの話しを少しは聞いてくれるかもしれないわよ」。
次の日、素直にお母さんのアドバイスを実行に移しました。しばらくたったある日、「お母さん、あのね、知ってるって答えた人は、知らないって答えた人よりも長く話を聞いてくれるんだよ。そして、新しいことも教えてくれるときがあるとわかったよ」と報告してくれたそうです。誰彼かまわずポケモンの話しすることがぐっと減ったそうです。
すばらしいアドバイスだと思いませんか?私は、お母さんの洞察の深さに感動しました。わが子に必要な知識は「人によって興味や関心が違うこと」、「自分が好きなことが相手も好きだとは限らないこと」であることを見抜いていたのです。さらにこれらの事実を、身をもって気付かせるために”魔法の質問”を授け、じっと見守っていたのです。“自分と他者の心の内容は違う”。定型発達者にとっては自明中の自明な事実であっても、「群れの動物」的世界を持つ人たちにとって見れば(すべての自閉症スペクトラムがそうだと言っているわけではありませんが)、この事実は驚き以外のなにものでありません。
自分及び他者を発見する瞬間とは、自分の意図通りに他者が動いてくれないときだと思います。それまで、自分と他者は一緒だと固く信じていた子どもにとっては、安定していたはずの世界に“裂け目”ができたように感じる、一種の事件だと思います。でも、その裂け目を裂け目として放置するのではなく、ふさぎなおす努力をする過程で子どもは、コミュニケーションの必要性、効果的な表現の仕方を学んでいくのでしょう。この意味で、我々も自閉症スペクトラムの人たちも、学ぶ原理は一緒だと思います。違うのは“裂け目”の量であろうと、私は考えています。自閉症スペクトラムの子どもが、何とか折り合いをつけられそうだ、と思える程度の裂け目を我々が提供することが大切だと思うのです。療育や教育の効果は、この裂け目の量を子どもの発達合わせて見極められるかが鍵になるのだと思います。
雨野さんも、成長するに従い「伝えなければ自分の気持ちは相手に理解してもらえない」ことに気付いていきます。しかし、雨野さんの心の初期設定は「群れの動物」的心なので、いちいち自覚する必要があります。直感的には難しいと告白しているように、意識的な変換作業が必要になってきます。
この点が、支援をするときのポイントだと思います。コミュニケーションがずれているときに、どこの部分がどれくらいずれているのか、客観的に整理してあげることが、コミュニケーションをスムーズしていく上で必要です。上手な通訳者になること。支援の基本はここにあると思います。
005 学校キライ(4)
005 学校キライ(4)
雨野カエラ
学校嫌いはひどくなって、高校は途中でやめた。学校のルールがばかばかしくなったんだ。暑くてもカッターシャツの袖はまくってはいけないなんて、そんなこと、大人を相手に言うことはないだろう?それくらいのことでどうして怒鳴ったり,呼び出したりするんだろう。
今日なにか起ったらもう学校には二度と来ないと決めて登校した日、全校集会で校長先生が言った。
「やめたいやつはやめてしまえ」
僕は集会が終ってすぐ学校を出た。「造反有利」とか黒板に書こうかと思ったけど、意味を分かる先生も同級生もいなさそうだったのでやめた。
遅刻なし、欠席もほとんどなし。成績もまあまあ。そんな生徒が学校を辞めるのは開校以来だと言われた。喜んでいいのかな。
そこから数年間を映画とビデオをみながら家で過ごした。今なら引きこもりって言われるね。
-----
齊藤コメント
「造反有利」とは、文化大革命の時の毛沢東の言葉です。紅衛兵のスローガンとなりました。「体制に謀反を起こすには、道理がある」との意味があります。退学を決意した雨野さんが、この言葉に託したかったものは、文字通り「退学する自分には、理由があるのだ」ということだったと思います。
しかし雨野さんは、黒板にこの言葉を書くのをやめてしまいます。自分の気持ちを表現する最後の機会を自ら絶ってしまいました。他者に気持ちを伝えてみることが、他者を動かすための第一歩になるのですが、すでに時機は過ぎていたのでしょう。「自分の気持ちは,到底理解してもらえないだろう」と、あきらめの気持ちだったのだと思います。
「やめたいやつはやめてしまえ」の号令は、雨野さんには「もうこれ以上、がんばらなくてよい」という天からの声に聞こえたのではないでしょうか。
「学校キライ」を読み終えた後、何かが足りないと感じました。何度か読み返しているうちに気付きました。それは、「他者に頼る」もしくは「援助を求める」というエピソードがどこにも出てこないということです。どのエピソードも、頼ってみたけれど失敗した、援助を求めたけれど断られた、のではないのです。前提となる対話が開始されていないのです。すべては、雨野少年の心の中で生じ、そして過ぎ去っていっただけです。彼の心的世界には、語り合う「他者」が含まれていないのです。
もう少し他者に頼れば、解決する問題もあったかもしれません。また周囲の人たちも(特に大人は)、他者への頼り方を具体的な場面に即して身をもって示し、導く必要があったのかもしれません。
社会の中で生きていくのに大切なスキルとは何でしょうか?いろんな候補が挙げられると思いますが、雨野少年においては「他者に頼るスキル」こそ、真っ先に身に着ける必要のあったスキルだったのではないかと私は考えます。勉強が出来る、挨拶ができる、忘れ物をしない、友達に迷惑をかけない。雨野少年はいずれも、きちんとできていたと思います。そのため周囲の大人達は、むしろ安心していたのではないでしょうか。「自立した子だ」と。でもそこには落とし穴がありました。
子どもの育ちを眺める視点は色々とありますが「あなたはちゃんと人に頼っているかい?困ったと言えてる?」と尋ねる大人は案外少ないと思います。自立という目標が掲げられる環境では特に。“自立=自分で考え、行動すること”が目標となり、そのような振る舞いができるようになることが成長の証だとみんなが思うようになると、他者に頼ることは“甘え”に、困ったと訴えることは“努力が足りない”というふうに読み換えられてしまうことがあります。
でも自立とは、そのような意味ばかりではないのではないかと思います。雨野少年にとっての自立とは、他者に上手に頼ることができること。そして他者から頼られたとき、その期待にこたえられることにあったのではないかと思います。雨野少年は、常に自分ひとりで考え、そして行動してきました。まさに文字通り「自立」していたわけです。
しかし、どのような子どもも、経験は未熟です。思考もまだ自律的ではありません。だからこそ、他者に頼りながら育っていくものだと思います。他者を自己の鏡として。個として試行錯誤することは、非常に効率の低い学習をしている状況であると言えます。私は、自立とは、他者に頼ってきた歴史を背景にして、自己が少しずつ確立された結果であると考えるようになりました。
雨野さんは、発達障害を次のように定義するのがよいのではないかと考えていました(言葉は正確ではありません。メモを紛失したのです。雨野さんが言わんとするところを私が文章化してみました)。
「外部に自分を発信し、フィードバックを受けながら成長することを発達というならば、発達障害とは、個人及び環境要因により、フィードバックを受信できないために発達が阻まれている状態を指すのではないか」
なんとわかりやすい定義でしょう。雨野さんは「自分の言葉が他者に通じない」ということをよく言っていました。会話の相手は「大丈夫、ちゃんと通じているよ」と言ってくれるそうですが、返ってくる言葉は、いつもポイントがずれているのだそうです。雨野さんは「手ごたえがない」と言います。手ごたえがない環境は、負の報酬ばかりが返ってくる環境よりも、もしかしたらつらい状況なのではないかと思います。自分を表現しても「応答がない」環境は、表現することそのものを無意味化するからです。自分の内部に生じたものを、無意味であると感じさせられることほど、人として空しいことがあるでしょうか?
話は少しそれますが、私が大学生の頃、ある医療機関で行われていた自閉症の療育に、実習生として参加したことがありました。視線の合わない自閉症の子どもとの遊びに悪戦苦闘している私に、セラピストの方がくれたアドバイスは今でも心に残っています。
「自閉症の子どもの要求を増やしたかったら、子どもの期待通りに大人が反応してあげること。自分の身振りや言葉が他者を動かしていると感じることが大切なんです。世界を動かしているのは自分なんだ、と思えるようにあなたは振舞いなさい。まずあなたは、子どもの道具でいいのです。ただし、おもちゃよりも確かな反応を返す道具になりましょう。あなたの遊び方は、おもちゃに劣っているのですよ。タイミングや方法が微妙に変化しているからです。きっと扱いにくい道具と思われているのだと思います。繰り返し、子どもが望む反応を返すことによって、子どもの信頼を得ることを目指しましょう」
雨野さんの発達障害の定義と同じ意味のことがここでは語られています。確かな反応、確かな手ごたえ。世界を動かしている有能感。これらが子どもの中でしっかりと根付かない限りは、子どもは外部に向けて何かを発信しようとしないでしょう。以後心得て、信頼できる道具になりきるよう努力しました。すると、その子どもの反応が少しずつ変わってきました。おもちゃよりもまず先に“使って”もらえるようになったのでした。
人は他者を通してしか自己を理解することはできません。対話は、発達に必要不可欠な行為です。雨野さんが私との対話を望んだ理由は以下のようでした。
「僕は、生まれてこのかたずっと、アスペルガー症候群だったわけです。だから定型発達というものを知りません。これから僕が生きていく上で、自分を説明しなければならない場面が出てくると思います。しかし、定型発達というものを知らない自分は、どこが共通していてどこが異なるのか、区別がつかないのです。僕の自己紹介は二つのパタンがあります。生まれてからのことをすべて話すのがひとつのやりかた。でもこれはものすごく時間がかかるので、最後まで聞いてくれる人はいません。どのエピソードを選べばよいのか分からないので、結局僕は何も話さないことを選ぶのです。齊藤先生には、僕の考えを伝えます。その考えに対して何を思ったのか、また齊藤先生自身はどのように考えるのかを教えてください。その対話を通じて僕は、自分にしかない特徴というものを推測していきたいのです」
このように雨野さんが援助を求め、他者に自分の考えを伝えるようになったのは、30歳を過ぎてからです。高校を退学してから十数年後のことでした。