1 1960年代の障害の重い子どもの状況
2 島田療育園の誕生
3 島田療育園の光景
4 重症児の幸せとは
5 守られなかった子どもたち
6 重症児の発達をどうとらえたか
7 重症児の医療と介護
8 療育条件と実践
9 学習と生活の指導
10 重症児の医療・福祉から教育へ
とくしカフェ(ブログ)
2015年2月の記事一覧
クライミングウォールと筑波大学の皆さん
2月21日のキンダーぷらっつでは、設置されたばかりのクライミングウォールで遊びました。



ちゃんと順番を守り、自分で安全確認。
動きを工夫して日頃は意識しない身体の隅々まで使い次の目標に移動。
楽しい活動には学びがいっぱいです。

そして、筑波大学でアダプテッド・スポーツ研究を行っている皆さんが、活動の視察に来られ、賑やかな一日となりました。
ちゃんと順番を守り、自分で安全確認。
動きを工夫して日頃は意識しない身体の隅々まで使い次の目標に移動。
楽しい活動には学びがいっぱいです。
そして、筑波大学でアダプテッド・スポーツ研究を行っている皆さんが、活動の視察に来られ、賑やかな一日となりました。
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明神もと子名誉教授の新著「どんなに障害が重くとも」刊行
北海道教育大学名誉教授で、釧路校において長く特別支援学校教員の養成にあたられた明神もと子先生の新著「どんなに障害が重くとも―1960年代・島田療育園の挑戦」が大月書店から刊行されました。
1960年代、まだ障害のある子どもたちに就学が保証されていない時代。重症心身障害児施設がつくられ、すべての子どもの就学保障にむかって、療育の試みがなされた萌芽期でした。その10年間に島田療育園が果たした役割は何であったか。
当時、島田療育園に勤務し、「重症児の父」と呼ばれた小林提樹先生とともに療育にあたった明神先生が実践的・理論的に問い直し、今日的課題を提示します。
目次
本書の詳細は→ こちら
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道徳の教科化によって、いじめや差別は減るのか
文部科学省は、中教審の道徳に係る教育課程の改善等についてのパブリックコメントを3月5日まで募集すると発表しました。学習指導要領の改定案を確認したところ、差別やいじめをなくすために、公正・公平を強調するという抽象的な内容であり、まさに差別やいじめの対象になりやすい障害の問題が全く言及されていませんでした。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/27/02/1354944.htm
また、日本と他国といった単純な区分が、すでに様々な民族・文化をもつ子どもが学校に通っている現状と乖離していることから、多文化教育の視点も必要ではないかと思いました。
そこで、先ほど以下のような意見を文科省に送りました。道徳の教科化は疑問の余地が大きいのですが、学習指導要領の改訂は規定路線ですので、少しでも改善されることを望みます。
(北海道教育大学札幌校:千賀愛)
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道徳の教科化にあたり、以下の2点を要望いたします。
小学校・中学校学習指導要領案(第3章 特別の教科 道徳)
(1)主として人との関わりに関する事に「障害者」も内容に含める事
いじめの対象になりやすい子どもとして、障害やその疑いのある子どもがターゲットになり、不登校になっている現状があり、より効果的に差別のない社会を目指すのであれば、差別対象になりやすい障害を扱うことが有効です。例えば、小学校低学年では、身近な障害として、高齢者に多い視覚障害と聴覚障害、小学校中学年では身体障害をとりあげ、高学年では自閉症や知的障害を取り上げることなど、発達段階に応じて障害の種類をとりあげることも可能です。
参考図書として「小学校・中学校・高等学校における新しい障がい理解教育の創造」(富永光昭著、福村出版)があげられます。
教育基本法第4条2「国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない」とあり、学校教育でも障害を理解するための教育が必要です。
また2014年に日本が批准した国連の障害者の権利条約においても差別撤廃は必須となっており、学習指導要領に位置づける事が重要です。
(2 ) 主として集団や社会とのかかわりに関する事に、日本国内の先住民族であるアイヌ民族や在日韓国人、ブラジル人、中国人など、子どもにとって身近な存在である様々な文化をとりあげることが国際社会における日本人の育成に不可欠と考えます。
日本と他国という単純な二元論ではなく、日本国内に様々な民族・文化を背景にした人々が暮らしていることを子ども達に伝える事が、多文化社会を理解する上で不可欠と考えます。
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